ヤクルトに拾われた男「坂口智隆」がチームを牽引!

青木宣親選手のメジャー移籍後センターはレギュラーが定着できずにいたヤクルトスワローズ。そこにレギュラーの座を勝ち取り活躍中なのがオリックスから移籍してきた坂口智隆選手。本日は坂口選手のこれまでの経歴を振り返って坂口選手を徹底解剖してみます。

リードオフマンとして活躍した青木宣親選手がメジャーに移籍して以降、センターのレギュラーが定着せずウィークポイントになっていたヤクルトスワローズ

2016年、そのセンターのレギュラーの座を勝ち取り好調をキープしているのがオリックスから移籍してきた坂口智隆選手です。移籍してきたばかりとあって、ヤクルトファンでもまだ坂口選手のことを詳しく知らない人が多いことでしょう。ここでは坂口選手にフォーカスを当てご紹介します。

高校時代から突出していたヤクルト:坂口智隆選手

坂口選手は小学2年から野球を始めると投げてはピッチャー、打っては4番でプレーし高校は野球強豪校ではない地元の神戸国際大学附属高校に進学します。すると、1年の秋にエースになり秋季近畿大会でベスト4に進出、チームを翌春の甲子園に初出場に導くなど投打の軸として活躍しました。

すると走攻守三拍子揃った選手としてプロの目にもとまるようになり、高い身体能力と将来性を買われて近鉄バッファローズにドラフトで1位指名され、プロの道へ進みます。プロ入団後5年間はプロの高い壁に阻まれ一軍で結果を残すことができなかったものの、ようやく5年目の2008年に開幕1軍で先発すると、その後も試合出場を続け打率.278、盗塁13と一番打者と結果を残しレギュラーの座をつかみました。

2009年と2010年はほぼ全試合に出場して打率3割を記録、2011年には175安打を放ってパ・リーグの最多安打を記録するなど、パ・リーグを代表する1番打者となり、2008年から4年連続でゴールデングラブ賞を受賞するなど守備でも高く評価される選手へと成長しました。

2012年の怪我をきっかけに打撃不振に

日本代表にも選出されるなどプロ野球選手として順風満帆の選手生活を送っていた矢先、守備でダイビングキャッチした際に肩を脱臼、靭帯も断裂するなど大怪我に見舞われます。リハビリを経て怪我から回復しても本来のシュアなバッテイングを取り戻すことができず、成績が下降し試合への出場が激減、2015年は僅か36試合のみの出場にとどまりました。

するとシーズンオフの契約交渉で年棒の減額制限を超える提示を受け、事実上の戦力外扱いに。これに納得することができず、他の球団でのやり直しを求めオリックスを退団しヤクルトに移籍しました。

2016年シーズン半分を終えて3割をキープし復活へ

31歳とプロ野球選手としてはベテランながら再起を図ってヤクルトに移籍すると、それまでトレードマークだった金色の髪をヤクルトのイメージには合わないとして黒色に染め直し、伸ばしていた髭も剃るなど見た目を一新、そして後がない状況でキャンプを迎えて連日に渡る猛練習を続けた結果、オープン戦ではチーム一の打率を記録し開幕一軍、センター、一番でレギュラーの座を獲得します。

その後も安定した働きを見せ、セ・パ交流戦が終わった6月20日の時点で打率3割、80安打を放つなど1番打者としての役割をしっかり果たしています。特に出塁率はチームでは山田哲人選手に次ぐ.378を記録、一番坂口、二番川端、三番山田、四番バレンティン、五番雄平からなる豪華打撃陣はセ・リーグ屈指で広島に次ぐ得点数を記録しています。

また守備では失策0を継続するなど前半戦は全盛期を取り戻したプレーでチームを牽引してきました。

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後半戦、坂口選手は最下位に沈んでいるヤクルトの起爆剤となれるか?

2016年、ヤクルトは投手陣が不調で接戦をものにできず最下位に沈んでいますが、まだAクラス入りの可能性は残しています。チームが低迷している時に必要なのが経験豊富なベテラン選手の存在。オリックスでタイトルを獲得しながらも、事実上の戦力外となり、見事復活を果たしたその経験をチームに還元することが求められています。これからは是非坂口選手に注目してみてください。ヤクルトスワローズのお得なチケット情報はチケットキャンプ(チケキャン)で。

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