目指せリオデジャネイロオリンピック出場!バレーボール日本代表男子の歴代監督を知る

2016年5月28日からスタートする、2016年リオデジャネイロオリンピックバレーボール日本代表世界最終予選「龍神NIPPON」。今回は、歴代の日本代表監督を振り返ってみました。バレーボール日本代表にも様々な歴史がありますね。

「龍神NIPPON」の愛称で親しまれているバレーボール日本代表男子。人気面では長年全日本女子に水を空けられていましたが、2015年に行われたバレーボールワールドカップでは会場が満員となるなど注目度も急上昇中です。今日は、バレーボール日本代表男子の歴代の監督の名言やエピソードなどをご紹介いたします。

初代のバレーボール日本代表男子監督はやり投げ選手?

初代の日本代表監督は多田徳雄氏という方が務めました。多田氏は1920年に神戸高等商業学校(現神戸大学)にて日本初の純然たるバレーボール部を結成。監督に就任すると強豪チームに育て上げ、1923年に行われた第6回極東選手権に、神戸高等商業学校チームは全日本チームとして出場しました。この第6回大会の全日本チームはが、初めてのバレーボール専門選手のみで構成されたチームであるため、多田氏は初代のバレーボール全日本男子監督となりました。

この多田氏は1920年に神戸高等商業学校に移る直前に、アントワープ五輪一次予選のやり投で日本新記録を出したとのことです。世界標準記録に及ばなかったためオリンピック出場はなりませんでしたが、もし多田氏がやり投選手としてオリンピックに出場していたら、日本のバレーボールは別の歴史を刻んでいたかもしれませんね。

バレーボール日本代表男子を世界一に導いた松平康隆氏

1968年のメキシコオリンピックで銀メダルを、1972年のミュンヘンオリンピックで金メダルを日本にもたらしたのが松平康隆氏です。松平氏は約7年もの間バレーボール全日本男子の監督を務め、2016年現在で最も長く在任した監督です。
この松平氏の言葉に、こんな言葉があります。
「金メダルは、非常識の先にある。常識をいくら積み重ねても常識でしかない」
これは、それまでの常識にとらわれずに新しいスタイルを創造しようとする気概のことで、松平氏はこの考えを元に日本人の身体性と精神性を生かしたアクロバティックなバレーボールを現実のものとし、バレーボール全日本男子を世界一に導きました。

息子さんの一言に救われ16年ぶりにバレーボール日本代表男子をオリンピックの舞台へ導いた植田辰哉氏

1996年から2004年までの3大会連続でオリンピック出場を逃した全日本男子を、再度オリンピックに導いたのは2005年に監督に就任した植田辰哉氏です。植田氏は就任直後に選手に対し厳しい方針を打ち出し、凄まじい練習を選手に課しました。
迎えた2008年、北京オリンピックバレーボール世界最終予選でイタリアに敗れ、16年ぶりのオリンピック出場に黄信号がともったときに植田氏の息子さんがこう言ったそうです。
「父ちゃんまだ終わっていないよ。頑張ろう。」
その後、全日本男子は6連勝し、北京オリンピック出場を決めました。
息子さんの一言で気持ちが軽くなった植田氏が、選手を励まし好結果につながったのです。

「自反尽己(じはんじんこ)」を胸に8年ぶりのオリンピック出場を目指す南部正司監督

そして、2014年2月から「龍神NIPPON」を率いるのが現監督の南部正司氏です。その南部監督の好きな言葉は「自反尽己」。「じはんじんこ」と読むこの言葉は「人のせいにするな。すべて自分の責任ととらえ、自分の全力を尽くす」という意味だそうです。長年低迷が続くバレーボール全日本男子の建て直しは容易なことではないでしょうが、南部監督はこの「自反尽己」を胸に、2016年のリオデジャネイロオリンピック出場を目指します。

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1972年のミュンヘンオリンピック以降、金メダルはおろかメダルそのものからも遠ざかっているバレーボール全日本男子。長い低迷が続いていますが、石川祐希や柳田将洋など「NEXT4」と呼ばれる将来性豊かな選手の注目度も上がり、日に日に期待も高まっています。5月28日より東京体育館で行われる、2016年リオデジャネイロオリンピック バレーボール日本代表世界最終予選で「龍神NIPPON」を応援しましょう。

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