サッカー日本代表復帰を目指す内田篤人選手のワールドカップロシア大会への挑戦

これから選手たちはワールドカップロシア大会へ向けたサッカー日本代表への生き残りをかけたサバイバルへと突入していく事になりますが、そのサッカー日本代表争いに並々ならぬ決意で挑んでいる選手が本日紹介する内田篤人選手です。 近年悩まされ続けてきた怪我との戦い、出場機会を求めた2部クラブへの移籍、ワールドカップ2018ロシア大会での日本代表への復帰。日本代表の主力として戦ってきた内田篤人選手の苦悩の日々と、日本代表復帰へ向けた決意の2部クラブへの移籍の経緯に迫ります。

サッカー日本代表候補、内田篤人選手のワールドカップ2018ロシア大会への挑戦!!

アジア各地で行われていたワールドカップ2018ロシア大会アジア最終予選を見事突破し、ワールドカップ2018ロシア大会への出場を決めた、ハリルホジッチ監督率いる、サッカー男子日本代表。最終予選の初戦ではアラブ首長国連邦(UAE)にホームでまさかの敗北を喫し、厳しい試合を繰り広げてきました。最終予選の初戦に敗れたチームはワールドカップ本戦に出場した事がないというジンクスを見事に打ち破り、見事に首位でアジア最終予選を通過する事ができたハリルJAPAN。

そして、これから選手たちはワールドカップへ向けた代表への生き残りをかけたサバイバルへと突入していく事になりますが、その代表争いに並々ならぬ決意で挑んでいる選手が本日紹介する内田篤人選手です。

近年悩まされ続けてきた怪我との戦い、出場機会を求めた2部クラブへの移籍、ワールドカップ2018ロシア大会での日本代表への復帰。日本代表の主力として戦ってきた内田篤人選手の苦悩の日々と、日本代表復帰へ向けた決意の2部クラブへの移籍の経緯に迫ります。

サッカーワールドカップ日本代表を目指す内田篤人選手とは

内田 篤人(うちだ あつと)

生年月日:1988.03.27
身長/体重:176cm/70kg
ポジション:ディフェンダー(サイドバック)、ミットフィルダー(ウイングバック)
出身地:静岡県
所属チーム:FCウニオン・ベルリン(ドイツ2部)
経歴:清水東高校→鹿島アントラーズ→シャルケ(ドイツ)→ウニオン・ベルリン(ドイツ2部)

プロ入り後

2006年、鹿島アントラーズ時代は高校卒業後すぐにスタメンに抜擢され、クラブ史上初の高卒ルーキーの開幕戦出場を果たした。また同年にはクラブ史上最年少得点を記録、オールスターでもディフェンダー部門の最多得票を獲得し、オールスターにも史上最年少出場を果たしている。2008年には初めてのJリーグベストイレブンを獲得し初めて日本代表にも選出されます、そして2009年にはチームのJリーグ3連覇に貢献し、2年連続のJリーグベストイレブンも獲得しています。

そして2010年に初めての海外移籍でドイツ・ブンデスリーガのシャルケに加入。UEFAチャンピオンズリーグではインテル(イタリア)に所属していた長友佑都選手とのチャンピオンズリーグ史上初の日本人選手対決を実現させ、日本人選手としては初めてのチャンピオンズリーグベスト4進出という快挙を成し遂げました。

しかし、翌年から怪我やコンディション不良が相次ぎ、怪我と復帰を繰り返す厳しいシーズンが続くものの、2012年にはブンデスリーガ公式サイトのベストイレブンに選出されるなど、復帰を果たしましたが、翌年2013年は前半戦に右太ももを痛め離脱しそのままシーズンが終了。2014年もシーズン序盤は怪我の影響で試合に出られない日々が続いたが、復帰後は素晴らしい活躍を見せ、第10節のブンデスリーガ公式サイトのベストサイドバックにも選ばれました。同年に開催されたワールドカップブラジル大会でも全試合にスタメン出場するなど、日本代表でも不動の地位を確立していました。怪我からの見事な復帰を飾ったように見えたが、その後のリーグ戦で右膝を負傷しそのままシーズンが終了。オフには手術を行ったが翌シーズンはついに公式戦1試合も出場できないままシーズンが終了し、この2015年から日本代表からの招集も見送られるようになってしまい、ワールドカップロシア大会の日本代表入りに高い壁が聳え立ちます。これまで順風満帆かと思われた内田篤人選手のプロでのサッカー人生で初めての大きな試練を迎える事になりました。

サッカーワールドカップを見据えて出場機会を求め、2部クラブへの移籍

2016年には長いリハビリ期間を経てチームへ復帰。しかしチームは内田篤人選手が離脱している間に戦力を補強し、チームとしての形を作り上げていました。結局この年は、ヨーロッパリーグ1試合の出場に留まるなど出場機会が激減。自身2度目となるワールドカップ2018ロシア大会での日本代表復帰を果たすため、2017年、出場機会が得られるドイツ2部リーグのウニオン・ベルリンへ移籍することになりました。

今シーズン、シーズン開幕前の内田篤人選手はあと1年契約が残るシャルケでの怪我からの復帰という選択肢にも前向きでした。それは内田篤人選手の「1部で探してもよかったけど、シャルケと戦うのも」という言葉からも分かるように内田篤人選手のシャルケに対するクラブ愛からも読み解くことができます。しかし、それと同じようにサッカー選手として「また、日本代表としてワールドカップを戦いたい」という想いがあった事も事実です。

サッカー日本代表を率いるハリルホジッチ監督は海外組のクラブでのプレー時間の短さについて言及することが多くあり、ACミランに在籍していた本田圭佑選手(パチューカ)やマンチェスターユナイテッドに所属していた香川真司選手(ドルトムント)がクラブで出場機会を得れていないと感じると、日本代表の試合でも使われないという事がありました。世界の市場的には高い評価を受けていたビッククラブに所属する日本を代表するスター選手よりも、どのようなクラブであれ、試合に出続けている選手を起用するというハリルホジッチ監督からの明確なメッセージが存在していました。現に、本田圭佑選手も香川真司選手も出場機会が得られるチームへの移籍を決断しています。これは内田篤人選手に対しても例外ではなく、サッカー日本代表へ復帰する為には、出場機会を得るという事が最も重要である認識していたはずです。

シャルケとの契約を全うするのか移籍するのか揺れ動く中、シャルケは若いドメニコ・テデスケ監督が新たに就任します。そしてこれが内田篤人選手が移籍を決断する大きな要因になります。

サッカーワールドカップ2018ロシア大会へ

新たに始まった2017年シーズンの開幕前、ドイツ国内で行われた練習試合、その後の中国遠征で内田篤人選手は出場機会を獲得します。しかしこれらの試合は全て、本職の右サイドバックではなく、3バックの左というオプションでの起用であった事が分かります。仮にシャルケとの契約を全うし、1年間左サイドで試合に出続けたとして、本職の右サイドバックの選手で日本代表に復帰することはできるのだろうか。内田選手はサッカーワールドカップ2018ロシア大会での日本代表復帰を目標に「時間がない」と移籍を決断します。

そしてシャルケもまた、内田篤人選手の意思を最大限に尊重し、「シャルケの方から内田篤人選手を追い出す事はしない」と移籍先を探しやすいように契約についても配慮を施したそうです。そしてこの移籍が発表されるとシャルケ側は声明で「この決断は難しいものだったが、内田篤人選手から継続的にプレーする機会を奪いたくなかった。いつもシャルケに100%を捧げてくれて感謝している。そしてこれからの成功を願っている」と話しており、内田篤人選手とシャルケとの良好な関係性を見る事もできました。

そして移籍先に2部リーグで戦う「ウニオン・ベルリン」を選択した事も内田篤人選手には最良と言えそうです。ウニオン・ベルリンを率いるケラー監督はシャルケで内田篤人選手と共にプレーした旧知の仲で内田篤人選手を信頼し、使い続けてくれた監督でもあるのです。実質、2年以上もの間、試合から遠ざかっている内田篤人選手にとって一番大切なのは試合に出続けていく事であり、2部リーグとは言え、海外の選手と試合をし続けることのできる今回の移籍は非常に合理的です。

ワールドカップ2018ロシア大会を見据えた内田篤人選手の、サッカー日本代表への復帰を目指した挑戦を見届けていきたいですね。

 

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