【大相撲】歴代の横綱を一挙紹介!横綱になるために必要な定義・条件ってなに?

日本の国技、相撲。江戸時代から数百年たった今でも日本国民に親しみ愛されている伝統競技です。その大相撲の歴史の中で力士の代表と呼ぶべき存在なのが「横綱」。本日は初代から第71代鶴竜まで歴代の横綱をまとめてご紹介します。

日本の国技とされる競技・相撲。日本で昔から伝わる伝統競技であり、大相撲が行われた江戸時代から数百年たった今でも、たくさんの人に親しまれています。その大相撲の歴史の中で力士の代表と呼ぶべき存在なのが「横綱」。今回は歴代の横綱について紹介していきます。

横綱とは?横綱の昇進の条件を解説

大相撲でよく聞く「横綱」。相撲の知識がない方でも「実力のある力士」ということは分かりますが、横綱になる定義を知っている人は多くないと思います。まずは横綱について詳しく書いていきます。

横綱とは力士の格付けの中で最も高い地位の称号とされています。横綱は全ての力士の代表という意味が込められており、「神の依り代であることの証」。そのため横綱は怪我や病気、故障などを除き、土俵入りをすることが義務となっています。

横綱に降格はありません。現役を引退するまではずっと横綱の格が与えられます。そのため、その高い地位に相応しい品格や力量が求められます。

横綱に昇進する条件は「大関の地位で2場所連続優勝、またはそれに準ずる成績を上げた力士」。しかしこの条件を満たしたからといって横綱になれるとは限りません。

横綱審議委員会による横綱昇進の審議が行われ、その審議で出席委員の3分の2以上の賛成を得られることができれば日本相撲協会理事長に伝えられます。そして臨時理事会を招集し、そこで正式に決まります。ただ横綱審議委員会による横綱昇進の審議によって決まることが慣例となっています。

昇進する条件に「それに準ずる成績を上げた力士」とありますが、この条件によってさまざまなトラブルが起こり、近年は「大関で2場所連続優勝」が事実上の条件となっています。これが横綱になるための条件です。

日本人横綱の不在。近年はモンゴル勢の力士が横綱に

日本の国技である相撲ですが、近年、日本人の横綱が誕生していません。大相撲で最後に日本人で横綱になったのは第66代横綱若乃花。2003年に第65代貴乃花が引退してからは、10年以上、日本人の横綱が誕生していません。

2006年以降は優勝すらしておりません。日本人力士が横綱になれない理由にモンゴル勢の力士が力をつけたことが挙げられます。優勝25回の朝青龍や63連勝を記録した白鵬など、近年はモンゴル勢が大相撲の主役となっています。果たして今後日本人の横綱は誕生するのでしょうか?

歴代の横綱を一挙紹介!

第71代 鶴竜

四つ、寄り、下手投げ、もろ差しと得意とする力士。井筒部屋に入門した当初は65キロしかなかったが持ち前の向上心で一気に大相撲を代表する力士に成長。素晴らしい人間性を評価され、平成以降初の連覇なしで横綱になった力士です。

通算成績:638勝431敗44休。モンゴル出身、井筒部屋。

第70代 日馬富士

持ち前の激しい相撲が持ち味で、突っ張り、右四つ、寄り、押し出しを得意とします。全身全霊で組む相撲は大相撲ファンから高い人気があります。12年九月場所で2場所連続全勝優勝を達成。白鵬と同じ不知火型。

不知火型2人が同時に在籍するのは大相撲史上初めてのこと。2014年に法政大学大学院政策創造研究科に入学し、初の大学院生の横綱になりました。

通算成績:757勝414敗65休。モンゴル出身、伊勢ケ浜部屋。優勝5回。横綱在位:2012年11月~

第69代 白鵬

年間最多勝回数9回や幕内中日勝ち越し記録41場所など様々な歴代1位記録を持つ力士。連勝記録も63と驚異的な結果を残しています。

同じモンゴル出身の朝青龍とともに大相撲の一時代を築き上げました。相手の様々な取り口に対応する柔軟な相撲を武器とします。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。

通算成績:997勝207敗33休。モンゴル出身、宮城野部屋。優勝23回。横綱在位:2007年7月~

第68代 朝青龍

2005年に7場所連続優勝し勝率は.795と強異的な強さを示す一方、飲料水のCMに出演するなど人気も兼ねそろえた力士。

朝青龍 明徳(あさしょうりゅう あきのり)の名前の由来は自身の出身校・明徳義塾高校からきています。2005年に7場所連続優勝、年間完全制覇を果たしました。

通算成績:669勝173敗76休。モンゴル出身、高砂部屋。優勝25回。横綱在位:2003年11月~10年1月

第67代 武蔵丸

突き、押し、右四つを得意とし、55場所連続勝ち越しの記録を持つ力士。高校まではアメリカンフットボールのプロ選手を目指していましたが経済的な理由で断念。

その後相撲の経験がなかったにも関わらず武蔵川部屋に入門。その後横綱まで上り詰めました。平成の相撲ブームを支えた一人で相撲ファンから高い人気を誇りました。

通算成績:779勝294敗115休。米国ハワイ州出身、武蔵川部屋。横綱在位:1999年7月~2003年11月

第66代 若乃花(3代)

身長は180センチと力士の中では低かったものの、巧みな足さばきを生かした技で横綱まで上り詰めました。しかし大関時代に怪我が多く、在位11場所と短命の横綱で終わりました。

弟貴乃花とともに史上初の兄弟横綱として大相撲人気を支えました。話術に長けているため、現在はタレントとして活躍しています。

通算成績:573勝286敗124休。東京都出身、二子山部屋。横綱在位:1998年7月~2000年3月

第65代 貴乃花

数々の最年少記録を樹立した力士。兄若乃花と共に兄弟で大相撲人気を支えました。1995年11月場所には兄弟で12勝3敗と並び、史上初の兄弟優勝決定戦が実現。結果、兄若乃花に敗れ4連覇を逃しました。横綱在位は49場所で歴代4位と長く大相撲界を盛り上げました。

通算成績:794勝262敗201休。東京都出身、二子山部屋。横綱在位:1995年1月~2003年1月

第64代 曙

大相撲初の外国人横綱。1993年に横綱になってから幕内優勝3連覇を達成。同年、自身初の年間最多勝を獲得しました。235キロの巨体が持ち味でライバル・貴乃花の前に立ちはだかりました。現在はプロの格闘家として活躍しています。

通算成績:654勝232敗181休。米国ハワイ州出身、東関部屋。横綱在位:1993年3月~2001年1月

第63代 旭富士

得意技は右四つ、寄り、掬い投げとし、新横綱になってからは24連勝を達成。しかし慢性膵炎と脊椎分離症などの病に悩まされ、短命の横綱で終わりました。引退後は親方として第70代横綱日馬富士などを育て上げました。

通算成績:575勝324敗35休。青森県出身、大島部屋。横綱在位:1990年9月~92年1月

第62代 大乃国

初の幕内最高優勝を果たした力士。横綱昇進後は「歴史を変える力士」と期待されたが、その後体調不良に悩まされ、思うように結果を残せませんでした。それでも千代の富士の連勝を53で止めるなど、横綱としての品格を見せつけました。

通算成績:560勝319敗107休。北海道出身、放駒部屋。1987年11月~91年7月

第61代 北勝海

通算3回目の優勝を果たし、大相撲の歴史に名を遺した力士。自身初の綱獲りだった1987年5月場所では優勝次点の成績の成績に終わり、横綱昇進は微妙でしたが、稽古熱心な所と品格の良さが高く評価され、横綱昇進が決定しました。引退後は親方として活躍し、海鵬などの名だたる力士を育て上げました。

通算成績:591勝286敗109休。北海道出身、九重部屋。横綱在位:1987年7月~92年3月

第60代 双羽黒

リーチを生かした突っ張りを得意とし、北勝海と共に「花のサンパチ組」として活躍。幕内優勝を一度も経験せず横綱に昇進。その後師匠らとトラブルを起こし、24歳の若さで廃業となりました。この事件をきっかけに横綱の昇進基準「大関で2場所連続優勝」が厳格に適用されるようになりました。

通算成績:348勝184敗24休。三重県出身、立浪部屋。横綱在位:1986年9月~87年11月

第59代 隆の里

糖尿病に苦しみ思うように結果を出せませんでしたが、当時最も遅い82場所、29歳3か月の年齢で大関に昇進。同年には初優勝を果たしました。その後30歳11か月で横綱に昇進。高齢での横綱昇進となりました。千代の富士とは相性が良く、数少ない天敵として大相撲界を盛り上げました。

通算成績:693勝493敗80休。青森県、二子山部屋出身。横綱在位:1983年9月~86年1月

第58代 千代の富士

1988年に53連勝も記録。通算1045勝、優勝回数は32回と圧倒的な数字を残しています。89年には国民栄誉賞を受賞。今もなお伝説の力士として大相撲界に名を残しています。2015年には史上10人目となる還暦土俵入りを披露しました。

通算成績:1045勝437敗159休。北海道出身、九重部屋。横綱在位:1981年9月~91年5月

第57代 三重ノ海

入門前まで相撲の経験がなく、もともと非力でもありましたが、努力の末に31歳5か月で横綱に昇進。大関から陥落するも復帰し、その後横綱に昇進した唯一の力士です。引退後は日本相撲協会の理事長職を務めました。

通算成績:695勝525敗1分56休。三重県出身、出羽海部屋。横綱在位:1979年9月~80年11月

第56代 若乃花(2代)

左四つ、上手投げ、外掛けを得意技とし、安定した成績を残した力士。横綱昇進後に「若三杉」から師匠の「若乃花」を継ぎました。28場所連続勝ち越しの成績を挙げました。一方ドラマの出演や歌手デビューも果たし、甘いマスクで人気を集めました。

通算成績:656勝323敗85休。青森県出身、二子山部屋。横綱在位:1978年7月~83年1月

第55代 北の湖

18歳7ヶ月で新入幕を果たし、その2年後には横綱に昇進。21歳2ヶ月の若さで横綱昇進という快挙を果たした力士です。

先輩横綱・輪島と「輪湖時代」を築き上げ、大相撲界を沸かせました。横綱在位63場所、818回出場、670勝は今でも破られていない数字です。引退後は日本相撲協会理事長を務めあげました。

通算成績:951勝350敗107休。北海道出身、三保ヶ関部屋。横綱在位:1974年9月~85年1月

第54代 輪島

左下手をとった時の強さは「黄金の左」と称されるほど得意としました。初土俵からわずか3年半で横綱へ上りつめ、スピード出世を果たしました。相撲界では異例の学生相撲出身での横綱となった力士です。第55代横綱北の湖と数々の優勝争いを繰り広げ、「輪湖時代」を築き上げました。

通算成績:673勝234敗85休。石川県出身、花籠部屋。横綱在位:1973年7月~81年3月

第53代 琴桜

突き押しや強烈な当たりを得意とし、その姿から「猛牛」と呼ばれました。32歳1カ月でようやく横綱昇進。年6場所制において最高齢の横綱となりました。引退後は自身出身である佐渡ケ嶽部屋を継承。琴欧洲などの名だたる力士を育て上げました。

通算成績:723勝428敗77休。鳥取県出身、佐渡ヶ嶽部屋。横綱在位:1973年3月~74年5月

第52代 北の富士

豪快な投げ技を得意とし、新入幕力士最多勝の新記録を達成する九重部屋を継ぎなどスピード出世も期待されます。しかしその後成績が伸びず、大関21場所にしてようやく横綱に昇進。この記録は当時の最長記録でした。引退後は九重部屋を継ぎ、第58代横綱・千代の富士などを育て上げました。

通算成績:786勝427敗69休。北海道出身、九重部屋。横綱在位:1970年3月~74年7月

第51代 玉の海

突っ張り、右四つを得意とし、6回もの優勝を果たした力士。大関昇進後に成績が振るわず伸び悩むも1970年初場後に横綱に昇進。ライバル北の富士と共に「北玉時代」として大相撲界を賑わせました。しかし71年に急死。大横綱への道が閉ざされました。

通算成績:619勝305敗。愛知県出身、片男波部屋。横綱在位:1970年3月~71年9月

第50代 佐田の山

突っ張りや右四つを得意とした力士。初土俵から地道な努力を重ね少しずつ番付を上げ、その9年後に横綱まで上り詰めました。その後も努力を重ね連覇を達成。その後日本相撲協会理事長を務めあげました。

通算成績:591勝251敗61休。長崎県出身、出羽海部屋。横綱在位:1965年3月~68年3月

第49代 栃ノ海

入門当時は小柄な体格で周りから相撲には向いてないと思われていましたが、その後ひたむきに努力を重ね、昇進していきます。1962年5月場所では幕内最高優勝を果たし、兄弟子・栃光と共に大関に昇進。その後横綱にまで上り詰めました。

通算成績:478勝261敗104休。青森県出身、春日野部屋。横綱在位:1964年3月~66年11月

第48代 大鵬

終戦直後の復興から続いた相撲黄金時代を支え、大相撲界に名を残した名力士。幕内最高優勝は32回で歴代1位、20連勝以上9回、30連勝以上を4回も記録、また45連勝という驚異的な数字を残しました。

また相撲ファン以外からの人気も高く「巨人・大鵬・卵焼き」という流行語が流行るなど、日本中のたくさんの人に親しまれた力士でした。

通算成績:872勝182敗136休。北海道出身、二所ノ関部屋。横綱在位:1961年11月~71年5月

第47代 柏戸

1954年に初土俵を踏んで以降、順調に昇進していき、1559年には新入幕を果たします。当時19歳でのスピード出世でした。そして22歳9ヶ月で横綱に昇進し、大鵬と共に最年少記録を樹立しました。

その後昭和を代表する力士・大鵬と共に「柏鵬時代」を築き上げます。大鵬とは対照的な豪快な相撲を取り、大相撲界を賑わせました。

通算成績:715勝295敗140休。山形県出身、伊勢ノ海部屋。横綱在位:1961年11月~69年7月

第46代 朝湖(3代)

濃い胸毛と太い眉毛がトレードマークで映画にも出演、少年雑誌の表紙を飾るなど、相撲ファンに限らず人気がありました。

もちろん力士としての実力も高く史上初の横綱大関総なめという快挙を達成。横綱昇進後は腰椎分離症に悩まされ結果を残せずいましたが、その後復活。1961年の3月場所では自身5度目の優勝を飾りました。

通算成績:501勝270敗101休。鹿児島県出身、高砂部屋。横綱在位:1959年5月~62年1月

第45代 若乃花(初代)

戦後最軽量の横綱として大相撲界に名を残す力士。軽量にも関わらず強靭な足腰を武器に豪快な技なども見せつけ、当時は「土俵の鬼」という異名を持ちました。

第65代横綱・貴乃花と第66代横綱・3代若乃花の甥にあたります。引退後は2代目若乃花や隆の里といった名力士を育て上げました。

通算成績:593勝253敗4分55休。青森県出身、花籠部屋。横綱在位:1958年3月~62年3月

第44代 栃錦

幕内最高優勝10回、技能賞9回と大相撲界に歴史を残した名力士。強靭な足腰を武器に、粘り強い相撲を得意とし、当時「マムシ」という異名を持ちました。初代若乃花とは長く名勝負を繰り広げ「栃若時代の到来」とまで呼ばれていました。

これにより日本の相撲人気が一気に高まり、大相撲人気の火付け役に。引退後は相撲協会理事長につき、日本の相撲界に大きく貢献しました。

通算成績:578勝245敗1分1預44休。東京都出身、春日野部屋。横綱在位:1955年1月~60年5月

第43代 吉葉山 潤之輔

人違いをきっかけに相撲部屋に入門するという面白いエピソードを持つ力士。しかし順調に力をつけていきます。幕下優勝を果たして十両昇進が目前だった1942年に応召されるも、その後復員。そこから幕内最高優勝を果たし、横綱に昇進しました。

通算成績:357勝171敗1預85休。北海道、高島部屋。横綱在位:1954年3月-1958年1月

第42代 鏡里喜代治

右四つや寄り、上手投げを得意とした力士。3場所合計28勝で大関に昇進するという幸運な形での昇進となりましたが、その後1953年1月場所で14勝1敗の結果を残し初優勝するなど、実力をしっかりと見せつけました。

通算成績:415勝189敗28休。青森県出身、時津風部屋。横綱在位:1953年3月-1958年1月

第41代 千代の山雅信

北海道出身者初の横綱となった力士。大関で3連覇しながら運に恵まれず横綱の昇進を果たせませんでしたが、翌々年に自身3度目となる横綱に昇進しました。突っ張り、右四つ、上手投げを得意とし、通算で6回もの幕内優勝を果たしました。

通算成績:407勝158敗2分147休。北海道出身、出羽海部屋。横綱在籍:1951年9月~1959年1月

第40代 東富士欽壹

左四つ、寄り、上手出し投げを得意とし、幕内最高優勝6回を果たした力士。速攻相撲が持ち味で「怒涛の寄り」と呼ばれていました。相撲引退後は力道山に誘われプロレスラーに転身。デビュー早々にタイトルを獲得しました。

通算成績:335勝137敗1分1預54休。東京都出身、高砂部屋。横綱在位:1949年1月~1954年9月

第39代 前田山英五郎

突っ張りを得意とし、現役19年目にして悲願の横綱昇進を飾った力士。しかしその後6場所目で引退し、短命横綱として終わりました。引退後はアメリカ合衆国を巡業し相撲の普及に勤めました。

通算成績:305勝153敗50休。愛媛県出身、高砂部屋。横綱在位:1947年11月~1949年10月

第38代 照國萬藏

初土俵からスピード出世をしていき、23歳4ヶ月での横綱昇進で39年ぶりに最年少記録を更新。その後病などに見舞われますが、横綱昇進の8年後に悲願の優勝を果たしました。

通算成績:318勝112敗74休。秋田県出身、伊勢ヶ濱部屋。横綱在位:1943年1月~1953年1月

第37代 安藝ノ海節男

双葉山の70連勝を阻止した戦いは「世紀の一番」として今でも語り継がれています。その後、名に恥じぬよう稽古を重ねていき、1942年5月場所後に横綱へと昇進しました。

通算成績:209勝101敗38休。広島県出身、出羽海部屋。横綱在位:1943年1月~1946年11月

第36代 羽黒山政司

幕内最高優勝7回を誇る名力士。入門からスピード出世をしていき、大関も4場所での通過。初土俵から4年後に横綱まで上り詰めました。戦後荒廃した相撲界を支えた力士の一人です。

通算成績:359勝99敗1分117休。新潟県出身、立浪部屋。横綱在位:1942年1月~1953年9月

第35代 双葉山定次

連勝記録69を樹立した大相撲界きっての名力士。その記録は今も破られておらず、伝説の力士として名を残しています。他にも数々の記録を残し、国民的英雄としてたくさんの人に親しまれました。「稽古は本場所のごとく、本場所は稽古のごとく」などの名言も残しています。

通算成績:348勝116敗33休1分。大分県出身、双葉山相撲道場。横綱在位:1938年1月~1945年11月

第34代 男女ノ川登三

左四つ、割り出し、小手投げなどを得意とし、安定した成績を上げ横綱に昇進。第33代横綱武藏山との割はとても人気があり、両国国技館が18年ぶりに満員札止めになったこともあるそうです。

通算成績:294勝155敗1分33休。茨城県出身、佐渡ヶ嶽部屋。横綱在位:1937年1月~1942年1月

第33代 武藏山武

持ち前の怪力でスピード出世を果たしていった力士。最年少記録が話題になった最初の力士でもあります。美しい美貌や体型から人気を誇り、応援歌まで作られるほどでした。第34代横綱・男女ノ川登三との割では両国国技館を18年ぶりに満員札止めにしました。

通算成績:240勝79敗2分71休。神奈川県出身、出羽海部屋。横綱在位:1936年1月~1939年5月

第32代 玉錦三右エ門

3場所連続優勝を果たすも不運に見舞われ横綱昇進できず、その1年後にようやく横綱に昇進します。これが昭和に誕生した最初の横綱となります。

通算成績:350勝114敗3分1預17休。高知県出身、二所ノ関部屋。横綱在位:1933年1月~1938年5月

第31代 常ノ花寛市

全勝優勝を果たして第一人者として今も大相撲界に名を残しています。速攻相撲を得意とし、幕内最高優勝は10回、十両優勝1回と驚異的な結果を残しました。

通算成績:263勝81敗8分10預66休。岡山県出身、出羽ノ海部屋。横綱在位:1924年1月~1930年10月

第30代 西ノ海嘉治郎 (3代)

優勝経験や相当の成績を残さないまま昇進するという異例のケースで横綱になった力士。しかしその後念願の初優勝を果たし、横綱の面目を守りました。

通算成績:134勝60敗2分2預116休。鹿児島県出身、井筒部屋。横綱在位:1922年2月~1931年3月

第29代 宮城山福松

岩手県では唯一の横綱まで昇進した力士。右四つや寄りを得意とし、大坂相撲と東京相撲が合併してから最初の本場所で幕内最高優勝を達成しました。

通算成績:104勝76敗1分26休。岩手県出身、高田川部屋。横綱在位:1922年2月~1931年3月

第28代 大錦大五郎

1915年、35歳にして横綱に昇進。歴代の横綱で最弱という評価もありましたが、実力以上に人間性や品格を評価されて横綱に昇進したと言われています。

通算成績(大坂):162勝50敗15分10預73休。愛知県出身、朝日山部屋。横綱在位:1918年5月~1923年1月

第27代 栃木山守也

序ノ口で初土俵してから一敗もせず21連勝する快挙を達成。その後わずか3敗で入幕まで上り詰めます。最終勝率が9割を超えており、近代最強の力士とも称されています。

通算成績:197勝26敗7分5預24休。栃木県出身、出羽海部屋。横綱在位:1918年2月~1925年5月

第26代 大錦卯一郎

近代最強の力士とも称される栃木山とともに一時代を築き、日本の大相撲界を盛り上げました。また所要時間2時間5分の前代未聞の取組を行った力士としても有名です。

通算成績:119勝16敗3分32休。大阪府出身、出羽海部屋。横綱在位:1916年5月~1922年1月

第25代 西ノ海嘉治郎(2代)

明治から大正にかけて活躍した力士。43連勝中だった第23代横綱・太刀山峯右エ門を破る大金星をあげました。その後1916年には史上最高齢で念願の初優勝を果たしました。

通算成績:106勝38敗27分9預70休。鹿児島県出身、井筒部屋。横綱在位:1915年5月~1917年5月

第24代 鳳谷五郎

柔道の内股に似た掛け投げが得意で、「ケンケン」という変わったあだ名で呼ばれていました。この他にも多彩な技も披露し、引退までに幕内最高優勝2回果たしました。

通算成績:成績:108勝49敗7分8預66休。千葉県出身、宮城野部屋。横綱在位:1914年6月~1919年5月)

第23代 大木戸森右エ門

大坂相撲初代・公認横綱・若島権四郎にただ一人互角に相撲を取ることのできる力士とされていました。幕内最高優勝が10回、そのうち5回が全勝という驚異的な結果を残しています。大坂相撲では2人目となる公認横綱とされました。

横綱在位:1913年1月~1914年1月

第22代 太刀山峯右エ門

双手突きの威力がすさまじく、「四十五日の鉄砲」と呼ばれるほどでした。明治時代最後の横綱で「地上最強の横綱」と呼ばれるほどの強さを誇りました。

通算成績:195勝27敗10分5預73休。富山県出身、友綱部屋。横綱在位:1910年6月-1917年1月

第21代 若島権四郎

大坂相撲復興の第一人者で初代公認横綱。大坂相撲では突っ張りを武器にほとんどの力士を相手としませんでした。東京相撲との合併相撲でも大砲や梅ヶ谷といった名だたる力士と互角の実力を見せつけました。

千葉県出身、中村部屋。横綱在位:1903年1月~1907年1月

第20代 梅ヶ谷藤太郎 (2代)

12歳の頃で力士から相撲の教育を受け、新入幕からスピード出世をしていきます。1903年5月場所9日目(当時は1場所10日)では常陸山谷右エ門と全勝対決を行い、負けたものの、常陸山谷右エ門と共に横綱に昇進しました。その後2人で「梅・常陸時代」を築き、大相撲界を賑わせました。

通算成績:168勝27敗47分2預116休。富山県出身、雷部屋。横綱在位:1903年6月~1915年6月。

第19代 常陸山谷右エ門

梅ヶ谷藤太郎と共に「梅・常陸時代」を築き上げた力士。引退後は親方として栃木山守也・大錦卯一郎・常ノ花寛市の3人の横綱を育て上げ、指導者としての腕も振るいました。

茨城県出身、出羽ノ海部屋。横綱在位:1903年6月~1914年6月

第18代 大砲万右エ門

第17第横綱・小錦八十吉と共に相撲の黄金時代を築き上げた力士。身長は194センチもあり、伝説上の力士を除けば当時最も高い身長の横綱でした。この記録は約70年間破られることはありませんでした。

通算成績:98勝29敗51分4預138休。宮城県出身、尾車部屋。横綱在位:1901年4月~1908年1月

第17代 小錦八十吉(初代)

俊敏な動きを得意とし、新入幕から4年かけて39連勝を達成。その間に優勝相当記録を7度も達成するという驚異的な結果を残しました。横綱昇進時は20代と当時史上初の快挙でした。

通算成績:119勝24敗9分7預101休。千葉県出身、高砂部屋。横綱在位:1896年3月~1901年1月

第16代 西ノ海嘉治郎(初代)

泉川を得意技とし、優勝相当成績を2度も上げました。引退後はのちの第25代目横綱となる西ノ海嘉治郎(2代)などを育て上げ、指導者としても腕を振るいました。

通算成績:29場所127勝37敗25分4預97休。鹿児島県出身、高砂部屋。横綱在位:1890年3月~1896年1月

第15代 梅ヶ谷藤太郎(初代)

1876年 – 1881年にかけて58連勝し、その後敗れるも再び39連勝と記録を伸ばし、驚異的な結果を残しました。還暦が基準だった力士の中では珍しく83歳まで生き、横綱の長寿記録を持っています。勝率.951と歴代横綱の中でトップを誇ります。

通算成績:116勝6敗18分2預78休。福岡県出身、玉垣部屋。横綱在位:1884年2月~1885年5月

第14代 境川浪右衛門

幕内時代はどんな対戦相手でも相手に十分相撲を取らせてから勝負に出るスタイルをとっていたので、全勝をすることは一度もなく、また引き分けの多い力士でした。指導者になってからはその持ち前の人間性からたくさんの弟子に尊敬されたといいます。

通算成績:118勝23敗71分5預63休。千葉県出身、境川部屋。横綱在位:1876年2月~1881年5月

第13代 鬼面山谷五郎

温厚な性格と古武道な風格を見せていたといい、優勝相当成績7回という驚異的な結果を残しました。横綱昇進はなんと43歳。これは歴代横綱で最高齢の記録となっています。

通算成績:143勝24敗16分8預63休。岐阜県、武隈部屋。横綱在位:1869年2月~1870年11月

第12代 陣幕久五郎

寄りを得意技とし、優勝相当回数5回と素晴らしい結果を残しました。江戸時代最後の横綱として知られています。横綱在位は僅か2場所のみでしたが、勝率10割を誇りました。

通算幕内成績:87勝5敗17分3預65休。島根県出身、秀ノ山部屋。横綱在位:1867年1月~1867年11月

第11代 不知火光右衛門

右四つ、寄りを得意とし、優勝相当回数は3回。大坂相撲で修行後、江戸で境川門下になりました。

熊本県出身、境川部屋。横綱在位:1863年10月~1869年11月

第10代 雲龍久吉

横綱の土俵入りである「不知火型」を考案した力士と言われています。優勝相当成績7回と力士としての実力も見せながら、引退後は、明治維新後の大相撲復興に努めました。

通算幕内成績:127勝32敗15分5預55休。福岡県出身、追手風部屋。横綱在位:1861年9月~1865年2月

第9代 秀ノ山雷五郎

持ち前の怪力と闘志を武器に優勝相当成績6回もの成績を上げました。横綱になったのは入門からなんと19年かかったそうです。

通算成績:112勝21敗33分2預96休。宮城県出身、秀の山部屋。横綱在位:1847年9月~1850年3月

第8代 不知火諾右衛門

歴代の横綱の中で唯一下位番付へ陥落した力士として知られています。しかし実力は十分で優勝相当成績も上げました。引退後は大坂相撲の頭取を務めあげたといいます。

通算成績:48勝15敗3分2預1無65休(江戸相撲)。熊本県出身。横綱在位:1840年11月~1844年1月

第7代 稲妻雷五郎

平幕1場所・小結2場所・関脇3場所で大関まで上り詰めるという異例のスピード出世を果たしました。1830年に横綱になり、その後第6代横綱・阿武松緑之助と共に江戸時代後期の相撲黄金時代を築き上げました。

通算成績:130勝13敗14分3預1無73休 茨城県出身、錦嶋部屋。横綱在位:1829年9月~1839年11月

第6代 阿武松緑之助

温厚で義理が堅い人物だったとされています。作戦的な立ち合いは消極的とも言われてましたが、引退するまで140勝以上を上げるなどしっかりと結果を残しました。

通算成績:142勝31敗24分8預1無37休。石川県出身、武隈部屋。横綱在位:1828年2月~1835年10月

第5代 小野川喜三郎

慎重な取り口と技巧を武器に優勝相当成績7回という結果を残した力士。「大相撲史上最強のナンバー2」と言われることもあります。実質最初の横綱になった力士として大相撲界に名を残しています。

通算成績:144勝13敗4分10預3無40休。滋賀県出身。横綱在位:1789年11月 – 1798年10月)。

第4代 谷風梶之助 (2代)

江戸時代に活躍した力士で、仙台の谷風と称されるほどの実力でした。80連勝以上を2回記録するなど大相撲の歴史の中で圧倒的な数字を誇り、優勝相当回数21回、80連勝2回、通算勝率9割以上と大相撲史上屈指の強豪として歴史に名を残しています。

通算成績:49場所で258勝14敗16分16預5無112休。宮城県出身、伊勢ノ海部屋。横綱在位:1789年11月 – 1794年11月。

第3代 丸山権太左衛門

相撲の技術はなかったと言われていますが、威力のある突っ張りは相手が立っていられないほどでした。伝説上の横綱と位置づけられることもありますが、実在がしっかりと確認されています。

宮城県出身。

第2代 綾川五郎次 (初代)

明治時代に活躍した江戸相撲の力士。江戸相撲の力士にも関わらず珍しく大坂相撲でも人気があったと言われています。一般的には「伝説上の横綱」と考えられています。

栃木県出身。

初代  明石志賀之助

江戸時代の前半に活躍した力士とされ、現在の相撲の基本でもある四十八手の技を考案した人物と言われています。第2代 綾川五郎次 (初代)と共に「伝説上の横綱」として一般的に考えられます。

栃木県出身。

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大相撲・歴代の横綱まとめ

初代から現在までの横綱を見てみると、いかに相撲が歴史のある競技なのか分かります。日本で生まれ、現在まで国技としてたくさんの人に親しまれてきた大相撲。2003年の第65代横綱・貴乃花が引退して以降は日本人の横綱が誕生していません。これから日本人横綱は誕生するのでしょうか?今後の大相撲界に注目です。チケット情報はチケットキャンプ(チケキャン)で。

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