サッカー日本代表メンバー歴代10番選手まとめ!試合でも中心を果たすその実力とは…!

サッカー日本代表において背番号10番は特別です。エースナンバーとして結果を求められるのはもちろん、魅せるテクニックも必要とされファンを魅了する役割も担っています。時にはファンから厳しい批判に晒されるなど選手が受けるプレッシャーは計り知れません。今回は背番号10を背負ってきた歴代の選手たち4人を紹介します。

エースナンバー10番の系譜

6大会連続のW杯出場となるロシアW杯へ向け厳しい戦いを繰り広げているサッカー日本代表。その日本代表の中心選手として常に注目され続け、エースとしてのプレーを求められるのが背番号10番を背負っている選手の宿命です。

背番号10を背負った選手は他の選手とは違い高いハードルを義務付けられ、活躍するのが当たり前のプレッシャーの中で戦っています。チームを勝たせ、そして魅せるプレーが求められています。

歴代の10番を背負ってきた選手はすべてテクニックに優れた選手であることからも、サッカーファンを惹きつける役割をも担っていると言っていいでしょう!

そんなサッカー日本代表の背番号10を背負ってきた過去のレジェンドなど、エースナンバー10番の系譜を継いできたラモス瑠偉、名波浩、中村俊輔、香川真司の4人の選手を紹介します!

ラモス瑠偉(1992年~1995年)

  • 出身地 ブラジル・リオデジャネイロ
  • 生年月日 1957年2月9日
  • 身長 181㎝
  • 体重 71㎏
  • 利き足 右足
  • サージFC-読売クラブ/ヴェルディ川崎-京都パープルサンガ-ヴェルディ川崎

ブラジルでサッカーに明け暮れていたラモスさんは1977年1月、19歳の時に当時の読売サッカークラブ(現東京ヴェルディ)の与那城ジョージさんにスカウトされて来日することを決めたそうです。

母親からは猛反対されましたが3か月後には日本に来日し、読売クラブに入団します。細身の体ながらも持ち前の技術力の高さで1979年には年間通じて得点王とアシスト王に輝くなど日本サッカーにおいて圧倒的なプレーを見せました!

1984年には日本人の女性と結婚しブラジルサンパウロで挙式を上げるなどプライベートでも充実した生活をするようになります。

そして1989年に日本に帰化し日本国籍を取得することになりますが、意外にもそのきっかけとなったのは読売クラブの外国人枠が足りなくなったためでした。

当時外国人枠3人に対し4人の外国人を抱えていた読売クラブがラモスさんに日本への帰化を勧めます。

しかしラモスさんはいつかブラジルに帰って日本人の妻と一緒に生活しようと考えていたことから最初はあまり気乗りがしなかったそうですが、後に「妻の両親は快く一人娘をガイジンの俺にくれた、俺はとんでもない馬鹿野郎だった。何かの形で日本に恩返ししないとこれでは筋が通らない」と考え日本国籍の取得を決意したそうです!

その後1990年のアジア競技大会で日本代表に初選出されると1991年のキリンカップ初優勝に貢献し、日本代表に欠かせない存在として活躍!

1992年にはアジアカップに背番号10を背負い出場し、アジア最大のサッカーの国別対抗戦である大会でラモスは中心選手としてプレーし、日本を初優勝に導きました!

日本代表でのラモスさんの姿で最も印象的なのは1994年ドーハの悲劇でW杯出場を逃した場面かもしれません。試合が終わりW杯に出場できないことを知ったラモスさんが、頭を抱えながらピッチに座っている姿は今もサッカー史に残る印象的なシーンです。

ちなみに日本代表における最年長得点記録はラモスさんが1993年5月のW杯アジア予選のスリランカ戦で決めたゴールで36歳85日での最年長得点記録はいまだに破れていません!

名波浩(1996年~2000年)

  • 出身地 静岡県藤枝市
  • 生年月日 1972年11月28日
  • 身長 177㎝
  • 体重 70㎏
  • 利き足 左足
  • 清水商業高校-順天堂大学-ジュビロ磐田-ヴェネツィア-セレッソ大阪-東京ヴェルディ

男4人兄弟の末っ子として生まれ、物心つくころからサッカーに夢中になっていたそうで、子供の頃は意外にもちょっと肥満気味の体形でサッカーの試合中あれこれ指図が多いことから、あだ名はジャイアンと呼ばれていたそうです。

清水商業高校では名波さんを中心としたチームで高校総体やユース選手権などを制覇し、全国トップクラスのサッカー強豪校の一員として活躍し、順天堂大学に入学。

当時はまだ日本でプロサッカーリーグがなかったことから、サッカーだけで生活していくことにあきらめの気持ちがあったものの名波さんが大学3年生の時にプロサッカーリーグであるJリーグが発足し、プロのサッカー選手として生きていくことを決意します!

ジュビロ磐田に入団した名波さんは即戦力として1年目からレギュラーとして活躍し、ジュビロ磐田の黄金時代を築きました!

日本代表としても活躍し、日本代表が初めてW杯に出場した1998年フランスW杯でも背番号10を背負い全試合に先発出場。初戦となったアルゼンチン戦では名波さんの足に当たったボールが相手フォワードに渡りゴールを決められ1-0で敗れたことから、批判の対象になるなどしましたが、それも背番号10を背負う宿命と言えるでしょう。

2000年に行われたアジアカップでは日本代表を優勝に導き、MVPに輝くなど背番号10としての誇りを見せつけました!準々決勝のイラク戦でみせた中村俊輔選手の真横へのFKからのパスをダイレクトボレーで合わせた名波さんのゴールは今も語り継がれる日本代表の印象的なゴールの1つです。

中村俊輔(2003年~2010年)

  • 出身地 神奈川県横浜市
  • 生年月日 1978年6月24日
  • 身長 178㎝
  • 体重 70㎏
  • 利き足 左足
  • 桐光学園高校-横浜マリノス/横浜F・マリノス-レッジーナ-セルティック-エスパニョール-横浜Fマリノス-ジュビロ磐田

男4人兄弟の四男として生まれ、3歳の頃からボールを蹴り始めます。中学生の頃は日産のジュニアユース(後の横浜マリノスジュニアユース)に所属しサッカーエリートとしての道を歩み始めますが、チームの平均身長が170㎝のところを中村俊輔選手は160㎝ほどしかなかったことなどからユースチームへの昇格はできませんでした。

桐光学園高校でサッカーをすることになり、高校3年生の時には全国高等学校サッカー選手権大会で準優勝を果たすなど挫折を乗り越え、努力して伸びていく中村俊輔選手らしさはこの時から育まれていたのかもしれませんね。

高校を卒業し横浜マリノスに入団すると1年目から活躍。新人賞に輝き3年目には背番号10を任されるなどチームの中心選手として活躍し、テクニックの高さからサッカーファンからも熱い視線が送られるファンの多い選手となりました!

日本代表では2000年にシドニーオリンピックやアジアカップでの活躍がありましたが、地元開催となった2002年の日韓W杯では惜しくも落選し挫折を味わいます。

しかしジーコ監督の下再び日本代表に呼ばれ、さらに背番号10を背負いコンフェデレーションズカップ2003を戦い、2004年のアジアカップでは日本を優勝に導きMVPに輝きました!

2006年のドイツW杯では前回の雪辱を果たし、日本代表に選ばれレギュラーとして試合に出場。初戦オーストラリア戦ではゴールも決めます。

2010年南アフリカW杯でも日本代表メンバーに選ばれますが、レギュラー落ちとなり個人としては不本意な結果となるなど、山あり谷ありの中村俊輔選手のサッカー選手としての経歴は常に背番号10と共にありました。

魔法の左足から繰り出されるFKを武器に現在も活躍し続ける中村俊輔選手は、日本代表の10番に最もふさわしいプレースタイルを持ったサッカー選手だと言っていいかもしれません!

香川真司(2011年~)

  • 出身地 兵庫県神戸市
  • 生年月日 1989年3月17日
  • 身長 174㎝
  • 体重 68㎏
  • 利き足 右足
  • 宮城県黒川高校-ウィザス高校-セレッソ大阪-ボルシア・ドルトムント-マンチェスターユナイテッド-ボルシア・ドルトムント

神戸で生まれ育った香川真司選手は当時の少年チームの監督からサッカー留学を勧められ、仙台に引っ越しサッカー漬けの生活を送ります。そして2006年高校在学中にプロチームであるセレッソ大阪に入団しセレッソと業務提携していた通信制の高校に転校します。

セレッソ大阪では早い時期から頭角を現し、2009年には森島寛晃さんから受け継いだセレッソのエースナンバー8を背負いJ2得点王に輝いたうえチームのJ1昇格に大きく貢献しました!

翌2010年にはJ1で11試合7得点の成績を上げた後、シーズン途中でドイツのボルシア・ドルトムントに移籍。後にドルトムントでの活躍が認められ、イングランドのビッククラブ、マンチェスターユナイテッドに移籍するなどサッカーファンをも驚かせる活躍をします!

2008年に日本代表では平成生まれの選手として初めて選出され、2010年のW杯ではサポートメンバーとしてチームに帯同しました。

背番号10を背負ったのは2011年アジアカップでそれまで背番号10をつけていた中村俊輔選手がいなくなったことで香川真司選手が10番を背負う役割を担うことになります。アジアカップでは見事期待に応え自慢のスピードで相手ディフェンス陣を切り裂くなどチームに貢献し日本代表は優勝に輝きます!

しかし香川真司選手は海外のクラブでの活躍とは対照的に日本代表では消化不良の試合になることが多いのも事実でしょう。海外での活躍が逆にハードルを上げすぎている面もあるかもしれませんね。期待された2014年のブラジルW杯では目立った活躍ができず、チームもグループリーグで敗退してしまいました。

香川真司選手は持っている潜在能力はこれまでの10番を背負った選手の中でも最も高いと言ってもいい選手ですので、日本代表でもぜひその潜在能力を発揮してほしいですね!

受け継がれる10番の歴史


背番号10を背負ってきた4人の日本代表選手たちについて紹介しました!

日本代表10番の歴史は大きな宿命を背負って数々の選手に受け継がれてきました。これからも背番号10を背負う選手にはチームの勝利はもちろん、サッカーファンを満足させ惹きつける役割をも求められていくでしょう。

背番号10を背負うことでプレッシャーに押しつぶされるのではなく、背番号10をパワーに変えて活躍し、サッカー日本代表をより強く魅力的なチームにしてくれることを期待しているファンも多いはずです!

そしてサッカーファンとしてはこれからもずっと背番号10番がサッカー日本代表のエースナンバーとして受け継がれていってくれることを願いたいですね。

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