《W杯最終予選も佳境!》「サッカー日本代表」歴代監督の成績をまとめて一覧でご紹介!

2018ワールドカップロシア大会出場をかけたアジア最終予選も残す試合はあと2試合。 8月31日には宿敵オーストラリアとの大一番を迎えるサッカー日本代表チーム。 そんな日本代表の歴史をプレイバック!歴代日本代表監督の名前は勿論、成績や評価についてまで一覧にしてまとめてご紹介致します!

W杯最終予選も佳境!「サッカー日本代表」歴代監督の成績・評価を一覧でご紹介!

(画像:Pixabay)

2018ワールドカップロシア大会出場をかけたアジア最終予選も残す試合はあと2試合。

8月31日に出場権を懸けた大一番を迎えるサッカー日本代表チーム。

そんな日本代表の歴史をプレイバック!

日本サッカーがプロ化した1992年から現在に至るまでの約25年に渡る歴代日本代表監督の名前、成績やその評価まで一覧でご紹介致します!

ヴァヒド・ハリルホジッチ(在任期間2015.3~現在)/17勝3敗7分け(2017年6月時点)

現日本代表監督ハリルホジッチは、これまでに数々のクラブ、代表監督での実績もある大変経験豊富な指導者です。

2014年W杯ブラジル大会では、アルジェリア代表監督として優勝国ドイツを延長戦まで追い詰めるなど、その采配の評価も非常に高く、「タイトな守備と鋭い速攻」という基本戦術はありながら、格上相手に対してフォーメーションを変える采配を取り戦術の幅を持たせるチーム作りが特徴で、現在の日本代表に最も適した指導者とも言われています。

ハビエル・アギーレ(在任期間2014.8~2015.2)/6勝3敗1分け

スペインリーグやメキシコ代表監督などでの実績を評価され、日本代表監督に招聘されたアギーレ監督は、「堅守速攻」を得意とする監督でもあり、前任ザッケローニが掲げたショートパス、ポゼッションサッカーを失敗として位置付けたJFAの総括に基づいて選出されたと言われています。一定の期待感をもたらせましたが、スペインリーグ監督時代の八百長疑惑が浮上し、その関与の疑いにより契約解除されました。

アルベルト・ザッケローニ(在任期間 2010.8~2014.6)/31勝13敗11分け

ACミラン、インテル、ユベントスと言ったイタリアの名だたるクラブでの実績を誇るザッケローニにとって、代表監督をするのは初めてでしたが、アルゼンチンに対し日本代表史上初勝利、2011年のアジアカップでも優勝など、順調に結果を残していきました。2013年にはワールドカップブラジル大会最終予選も勝ち抜き、5大会連続となるワールドカップ出場も決め、その采配は高く評価されます。

素早いパスワークとサイドを起点とした攻撃的サッカーを掲げ、近年でも最強の日本代表を作り上げたとも言われていましたが、集大成でもあったブラジルW杯においては、2敗1分と惨敗。大会終了後に退任を表明しまいた。

岡田武史(在任期間 2008.1~2010.6)/26勝11敗13分け

オシム監督が脳梗塞に倒れ、指揮を取れなくなった事により、当時Jリーグでも優勝監督になるなど、実績を積んでいた岡田武史に再び白羽の矢が立ちました。

しかし、その後の代表監督としての道は険しく、ワールドカップ南アフリカ大会への出場権こそ得たものの、常にその戦績、選手起用に批判が集中し、ワールドカップ本大会に入る頃までマスコミ、ファン、サッカー関係者からの不信感と低評価の中で本戦に挑みました。

しかし、グループリーグを2勝1敗という好成績で決勝トーナメント進出という快挙を成し遂げ、それまで受けていた批判が一転、岡田監督の采配を絶賛する論調となり「名将」として称賛する評価相次ぎました。

イビチャ・オシム(在任期間2006.7~2007.11)/13勝5敗2分け

 

日本を含む世界各国での豊富な指導歴を誇るオシムが日本代表監督として行った取り組みには画期的な物も多く、特に代表スタッフを全て日本人にした事は、結果として現在のJリーグを中心とした日本サッカー界に優秀な指導者を育成した事に繋がっています。

また、代表戦のない月でも国内選手のみで短期合宿を行い、ほぼ毎月代表のトレーニング期間が設けられていました。

「考えて走るサッカー」をテーマに、それに合う選手選考がされ、非常にウィットに富んだオシムの言葉は「オシム語録」と呼ばれ注目されます。

しかしながら、2007年11月に脳梗塞で倒れ、一時は危篤状態に陥ります。奇跡的に一命は取り留めたものの、代表監督を惜しくも退任。未だにその信望者の多い監督と言えます。

ジーコ(在任期間 2002.7~2006.6)/39勝18敗15分け

ジーコはJリーグ創設時からの鹿島アントラーズ躍進の尽力した経験から満を持して代表監督に抜擢されました。

監督経験が無いながらも、2004年のアジアカップでの優勝、2005年のFIFAコンフェデレーションズカップでの躍進、またワールドカップドイツ大会地区予選では世界中の国に先駆けて最も早く出場権を獲得するなど、多くの結果を残しました。

世界有数の代表チームとのマッチメイクが叶うも…

ジーコが世界的に圧倒的な知名度を誇る監督であった事で、世界有数の代表チームとのマッチメイクが叶った期間でもありました。

しかしながら、2006年のワールドカップ本戦では、中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一と言った黄金世代を以てしても、グループリーグ2敗1分と期待を大きく裏切る結果に終わり、代表監督を退任しました。

フィリップ・トルシエ(在任期間 1998.9~2002.6)/23勝12敗15分け

岡田監督の辞任を受け、日本サッカー協会はアーセン・ベンゲルの推薦したトルシエに日本代表監督を決定しました。

トルシエは日本代表と共に、U-20日本代表監督も兼務し、ワールドユースナイジェリア大会では準優勝という快挙を果たします。

また、シドニー五輪出場に向けたU-22代表も率い、2大会連続の五輪出場を決めます。

2000年のアジアカップでは中東開催のアジアカップとおいては東アジア勢として初めての優勝も果たすなど、在任期間中に何度かの解任論などもあった中で、要所では結果を残していました。

情熱的な指導が持ち味!

そして、情熱的な指導姿も非常に印象深い監督で、練習中も選手を怒鳴ったり突き飛ばしたりするなど話題に事欠かない人物でもありました。
地元開催となったワールドカップでは、グループリーグを2勝1分けの1位で突破し、日本にワールドカップ初勝点、初勝利、初の決勝トーナメント進出をもたらしたことで、日本サッカーを大きく前進させた監督として評価されている事が多いようです。

岡田武史(在任期間 1997.10~1998.6)/9勝6敗4分け

ワールドカップフランス大会出場権を懸けたアジア最終予選で日本代表が敗退濃厚という窮地に陥り、加茂監督が更迭された事により、当時代表チームコーチとして帯同していた岡田武史は代理監督としての指名を受けました。その後、土壇場から日本代表初の本線出場権を獲得した。(ジョホールバルの歓喜)

この歴史的結果を受け、ワールドカップ本戦に向け正式に監督として任命されました。

三浦知良、北澤豪を外し大波乱!

1998年、ワールドカップ本戦直前に三浦知良、北澤豪を不振を理由に最終メンバーから外した事は、当時のマスコミやファン、世論をも巻き込んで大きな議論を呼びました。

初出場となったワールドカップフランス大会では、3戦3敗得点わずか1という惨敗に終わり、大会終了後自ら辞任をしました。

加茂周(在任期間 1994.12~1997.10)/24勝14敗8分け

ファルカン時代に「コミュニケーション不足」が課題となった事から、日本サッカーリーグ時代から指導力に定評のあった加茂周に白羽の矢が立ちました。

加茂周監督は、当時世界最強とも言われたACミランの戦術を「ゾーンプレス」と言う言葉で日本サッカーに浸透させようとした事でも知られています。

相次ぐ加茂批判の結果…

戦績においては1996年のアジアカップでは優勝を逃し、1997年9月より始まったワールドカップフランス大会アジア最終予選では9月の韓国戦において消極的戦術による逆転負けを喫し、メディアやファンの間で加茂批判が一気に高まりました。

続く10月4日のアウェイ、カザフスタン戦も引き分けに終わり、直後現地での更迭が決定しました。

当時日本は初のワールドカップ出場に向け、サッカー界全体にも悲壮感に近いムードがあった中で加茂周監督が担ったミッションは相当の重圧がかかっていたはずです。以降、加茂周は日本プロサッカーの表舞台での活動をほぼしていません。

ファルカン(在任期間 1994.5 ~1994.10)/3勝2敗4分け

当初、日本サッカー協会は、オフトの後任として、実績のある外国人監督と交渉していましたが、折り合いがつかず、当時JFA関係者であったセルジオ越後を通じてブラジル代表の名選手でもあったファルカンとの交渉に至りました。

オフト時代と大きく方向転換し、多くの若手選手の抜擢、選手の自主性に任せた指導法に選手が戸惑いファルカン監督に対し疑問視する声が就任直後には出始めていました。

1994年10月に広島で行われたアジア大会の準々決勝で韓国に敗れると、一気の解任論が沸き上がり、アジア大会での敗戦の責任を問われての解任となりました。

一方、その評価については「日本サッカーには少し早すぎる指導方針だったのでは」とする見解もある様です。

ハンス・オフト(在任期間 1992.5~1993.10)/17勝4敗6分け

オフトは1980年代より日本サッカーリーグでのコーチ・監督を歴任。その指導力の素晴らしさを当時の日本サッカー協会強化委員長であった川渕三郎に高く評価され、日本代表初の外国人監督となりました。

オフト就任後、当時ほとんど勝つ事の出来なかった韓国を倒しダイナスティカップに優勝、また広島で開催されたアジアカップにおいても初優勝を遂げるなど、代表チームが短期間の間に成長する姿を見てマスコミからは「オフトマジック」と呼ばれていました。

多数の功績を残したオフト監督

就任当初は代表チームの主力であったラモス瑠偉との戦術上の確執などもあったとされていますが、チームが結果を出すにつれ互いの結束は強くなっていき、ラモスも最後には「オフトを男にしたい」と公言していたといいます。

また、戦術を理解させるためにシンプルなキーワードを多用したのもオフトによる指導の特徴で、現在では当たり前の様に使われている「トライアングル」「アイコンタクト」「ディシプリン(規律)」などのサッカー指導用語はオフトによって日本サッカーに導入されたと言っても過言ではありません。

1993年の行われたワールドカップアメリカ大会アジア最終予選では国民の高い関心を呼び、毎試合驚異的な視聴率を記録しました。しかし本大会出場をあと一歩の所で逃し(ドーハの悲劇)日本サッカーに大きな成長をもたらしたオフト代表監督時代は終わりを迎えました。

W杯出場権を懸けたアジア最終予選。次戦は8.31埼スタで豪州との大一番!

我らが日本代表チームは、来年ロシアで開催されるワールドカップへの出場権を懸け、アジア地区最終予選を戦っています。

現在、勝点17でグループ首位をキープしている日本代表ですが、残り2試合の相手は共に勝点16で日本を追随するオーストラリア、サウジアラビアという上位チーム。

この2試合の結果如何では、厳しいプレーオフに回る可能性も十分にあり得る状況です。

日本代表チームは8月31日(木)埼玉スタジアムにおいて宿敵オーストラリアとの大一番を戦います。

これまでのワールドカップ予選において、日本はオーストラリアに一度も勝利した事がありません。そのジンクスを破る事が出来るのか?ハリルホジッチ監督には秘策があるのか?まさに大注目な一戦となります。

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