千葉ロッテのエースは俺だ!涌井秀章に注目

千葉ロッテマリーンズのエース、涌井秀章投手。今年のパリーグ優勝の可能性を握る1人といっても過言ではない不動のエースですが、学生時代や西武時代の成績はどうだったのでしょうか。涌井選手について掘り下げてみました。

ソフトバンクホークス1強と言われている今年のパ・リーグ。想定通り5月後半の時点でソフトバンクホークスが1位で今年も強さが際立っていますが、2位で食らいついているのが千葉ロッテ。シーズンが始まる前の評価は決して高くなかったものの、5月後半の時点で貯金8と好調をキープ、ソフトバンクホークスの対抗馬として首位争いを演じています。その中でもエースとして開幕投手を務めた涌井秀章投手が早くも5勝とチームを牽引。ここでは涌井投手にフォーカスしこれまでの涌井投手の野球人生や人柄をご紹介していきます。

千葉ロッテ 涌井選手の高校は名門横浜高校出身。「松坂二世」と呼ばれ活躍

涌井投手は絵に描いたようなエリートな野球人生を歩んできました。千葉県松戸市の松戸シニアを経て高校は名門横浜高校に入学。入学時から球が速く、右の本格派投手であったことから先輩である「松坂大輔二世」と呼ばれ、将来を期待されていました。甲子園には2年生の春と3年時の夏に出場。特に3年夏の甲子園はエースとして試合に挑み準々決勝まで進出、高校生ながら140km後半のストレートを投げ、一躍プロ注目の選手となりました。

涌井投手といえば、これまで女性関係で何度か週刊誌に取り上げられたことがあるほど派手な生活をしている印象があるかもしれません。しかし、実は努力の人でもあり高校時代は横浜高校名物「地獄のアメリカンノック」で誰よりも走らされ、辛さのあまり練習後に一人涙を流すことがあったほど。当時の横浜高校の野球部長によると涌井投手は「松坂よりも我慢し、辛い練習に耐え、乗り越えてきた」とのこと。その猛練習はプロになった今にも引き継がれ、オフではしっかり走り込みをしてキャンプとペナントレースに備えます。高校時代の努力の甲斐あって、2004年ドラフト会議では尊敬する先輩松坂大輔と同じ西武ライオンズに1位指名を受け入団しました。

千葉ロッテ 涌井選手はプロ1年目から一軍に、2年目からはローテーションの軸として活躍

プロに入るとさらに急速が増しストレートは150kmを超えるまでに成長。さらに、制球力も磨かれ、特に低めのコントロールは抜群で高卒1年目のルーキーながら1軍でも先発としてチャンスを与えられました。結果が出たのは2年目の2006年で、開幕から先発ローテーションに定着すると、4月23日の楽天戦では自身初となる完封勝利、6月には3勝1敗で月間MVPを受賞、結局この年は12勝を挙げ、松坂選手との2枚看板でチームを引っ張りました。

3年目に松坂選手がメジャーリーグに挑戦するために西武を退団すると涌井投手はさらに奮起、17勝を挙げ20歳ながらパ・リーグの最多勝のタイトルを獲得し先輩松坂の後を継ぐエースとしての役割を果たしました。その後も日本代表のメンバーに選出され、2009年には投手にとっての最高栄誉である沢村賞を受賞するなど、球界を代表する投手に。2012年には抑えに転向し30セーブを挙げるなどした後、2013年オフに国内FA権を行使し千葉ロッテに移籍しました。

千葉ロッテでもエースとしてマウンドに立ち続ける涌井選手

千葉ロッテに移籍した1年目の2014年は調子が上がらず苦しんだものの、2年目には15勝を挙げ、自身3度目の最多勝利のタイトルを獲得、さらに通算での勝利数が100勝を超えるなど20代で名球会入りまで半分の勝利数を達成しました。2016年も開幕投手としてQVCマリンのマウンドに立つと、日ハムの大谷選手との投手戦に投げ勝ち、開幕戦で勝ち投手に。さらにその後も自身初となる開幕から無傷の5連勝のスタートを切るなど絶好調でチームに貢献をしています。

千葉ロッテの2005年以来の優勝は涌井選手にかかっている!

千葉ロッテが最後に優勝したのは2005年で10年以上優勝から遠ざかっています。優勝するためにはチームのエースの活躍が不可欠。自身が投げた試合に勝つだけでなく、投手陣のリーダーとしての役割も求められており、ロッテが優勝するためには涌井投手の活躍が欠かせません。2016年も涌井投手のピッチングに注目しましょう。

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