育成契約から3億円プレーヤーに!巨人山口投手が歩んできた野球人生とは?

今や3億円プレーヤーとなった、巨人山口鉄也投手。ホールド王として今でこそその地位は盤石なように見えますが、ここまでの道のりはけっして平坦なものではありませんでした。食べるので精一杯だったルーキー時代のアメリカ時代など長い下積みがあってこそ。中継ぎのエースとして活躍する山口選手のここまでの歩みを振り返ります。

今や巨人の絶対的な中継ぎ投手として欠かせない存在になった山口鉄也投手。巨人がリードしている7回、8回にマウンドに登場すると鋭いシュートやスライダーで詰まらせて打ち取る姿が印象的ですが、今の活躍はアメリカ時代を含めた長い下積み生活があったからこそ。現在も現役で活躍する山口選手ですが、これまでどのような野球人生を歩んできたのかご紹介します。

高校卒業後にアメリカマイナーリーグへ挑戦

高校は地元横浜の強豪横浜商業に進学し、エースとしてレギュラーを勝ち取るものの、レベルの高い神奈川県大会ではベスト8がやっとでした。しかしアリゾナ・ダイヤモンドバックスのスカウトから誘いを受け入団テストを受けたところ、合格しアメリカへ旅立ちます。アメリカでは1Aの傘下ルーキーリーグで4年間プレー、その間の成績は7勝13敗、防御率4.98と結果を残すことができず、シングルAにも1度も上がることが出来ず帰国しました。

アメリカ時代はオフに日本に帰ってきてコンビニのバイトでお金を稼ぐなど食べていくだけでもやっとの生活を送ります。そして、帰国後に投手力の弱い横浜ベイスターズと発足したばかりの東北楽天ゴールデンイーグルスの入団テストを受けるものの不合格、最後に記念として受けた読売ジャイアンツの入団テストに受かり、育成選手として契約します。なお、育成ドラフト制度は2005年にスタートし、山口選手は育成選手1期生としての入団でした。

プロ3年目から中継ぎのエースに

プロ1年目は二軍でしっかり基礎を作り、2年目の2007年には二軍で好投したことを受け支配下登録され、一軍デビューを果たすなど順調にキャリアアップしてきました。そして3年目の2008年、キャンプ当初から中継ぎとして調整し、初の開幕一軍入りを果たすと、越智大祐や西村健太朗とともに巨人の強力な中継ぎ陣を形成、この年は中継ぎながら二桁勝利を挙げるなど大活躍しチームの優勝の原動力に。さらに育成枠出身選手としては初の新人王を受賞しました。

この活躍により首脳陣の信頼を得て、翌年の2009年も好調を維持し、シーズン通算の防御率は1.27、35ホールドを記録、さらにWBCの日本代表、オースルターにも選出され、最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得、オフの契約更改では育成枠出身選手初の年俸1億円でサインするなど名実ともにチームの主力に成長しました。それからも今に至るまで大きな故障をすることなく、中継ぎのエースとしてマウンドに立ち続けています。特に2012年の活躍は圧巻で、開幕24試合連続無失点のセ・リーグ記録を樹立、史上初となる5年連続60試合登板を達成、防御率0.84、44ホールドという圧倒的な成績を収め、日本シリーズでは胴上げ投手となりました。

現在もホールド王の記録を更新中

2014年にはプロ野球史上初となる200ホールドを達成、これまで投手の表彰項目としては、勝ち星やセーブなどはあったものの、中継ぎ投手に与えられるホールドについては規定がなく、山口投手の200ホールド達成が契機となって新たにホールドも表彰項目に加えられ、歴史として残ることになりました。2015年のシーズン終了時までに積み重ねたホールド数は251、同じく目を引くのが通算の防御率が2.09という驚異的な数字。これらの残してきた数字を受け、食べるので精一杯だったアメリカのルーキーリーグ時代では考えられないほどの高給取り(2016年の年俸は3.2億円)となりましたが、これからも300ホールド、350ホールドを目指して自身が持つ日本記録のホールド数を更新していきます。

山口投手を応援するため東京ドームに行こう!

https://twitter.com/mizuho_1202/status/741452158483075073

年間の登板数は60試合を超える山口投手。ほぼ2試合に1試合の割合でマウンドに立つ計算です。巨人が僅差で競っている試合やリードしている試合では山口投手が登板することがほとんど。ぜひ東京ドームに行って、巨人戦で山口投手のピッチングを応援しましょう!

チケット情報はチケットキャンプ(チケキャン)で。

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