広島東洋カープの戦力外通告・自由契約・引退選手を紹介!

25年ぶりにセ・リーグを制し、日本シリーズにも進出した広島東洋カープ。その優勝の立役者の一人でもあった黒田博樹投手が引退を表明。その他にもベテラン選手らがチームを去ります。本日は戦力外通告・引退・自由契約で広島カープを去る選手たちを経歴とともにご紹介します。

広島東洋カープを去る選手たち

25年ぶりにセ・リーグを制し、日本シリーズにも進出した広島東洋カープ。盛大な優勝パレードも行われ、大きな盛り上がりを見せてシーズンは終了しました。

そして、シーズン終了後に広島東洋カープの優勝の立役者の一人でもあった黒田博樹投手が引退を表明。大きなニュースとなりました。

黒田選手の他にもベテラン選手らが戦力外通告や引退でチームを去ります。今回は、戦力外通告・引退・自由契約で広島カープを去る選手たちを経歴とともにご紹介します。

広島東洋カープを去る選手たちその1・久本祐一投手

久本祐一投手は柏原高校、亜細亜大学を経て社会人野球の河合楽器に入り、2001年の都市対抗野球大会で優勝した際に若獅子賞を受賞する活躍を見せたことからプロの注目を浴びドラフト4位で中日に入団しました。

中日では左の中継ぎとして2年目から活躍。2003年には自己最多の51試合に登板、2006年には防御率1点台を記録しセリーグ優勝にも大きく貢献しました。2008年から他の左投手の台頭や故障の影響であまり活躍できず、2011年にはロングリリーフとして復調しましたが、2012年には5試合の登板にとどまり戦力外通告を受けました。その後、広島に移籍しています。

広島に移籍した1年目の2013年は先発として8試合を経験し古巣中日から勝ち星をあげるなど、43試合に登板する大活躍を見せました。しかし翌2014年、左肘を故障。育成選手となり、2015年は左肘のリハビリに専念し一度は再び支配下選手に復帰するも、2016年は1試合のみの登板となり戦力外通告を受けました。

現役続行を志願し11月12日に開催されたトライアウトを受験、2三振を奪いアピールしましたが獲得球団が現れなかったことから現役引退を決意。その後、古巣中日の落合GMから誘われたことから2017年からは中日の打撃投手として第二の人生をスタートさせます。プロ15年間で輝きを見せ続けてきたベテラン左腕は、古巣中日を裏から支えてくれることでしょう。

広島東洋カープを去る選手たちその2・中東直己外野手

中東直己外野手は広島工出身、東亜大学卒業後はJR西日本、本多鈴鹿を経て2006年のドラフト5位で広島に入団しました。

俊足や長打力の他、外野手の他に大学時代やっていた捕手もこなすマルチさがある選手です。2008年にはレギュラー争いの激しい外野手から層の薄い捕手に本格的に守備位置を変えましが、2010年に再び外野手に戻っています。決して派手さはありませんが、代打・代走・守備固め要員として広島で通好みの渋い活躍を見せてきました。

2011~2014年と頼れるスーパーサブ要員として活躍してきましたが2015年は1軍出場9試合、2016年は1軍出場なしと年々活躍の場が減り、今年戦力外通告を受け自由契約となりました。

戦力外通告を受けた後、11月12日に開催されたトライアウトを受験。5人の投手相手に5打数2安打を放ちアピールしました。今後の進路は未定ですが、どこに行ってもプレースタイルのように渋い活躍を見せてほしいものです。

広島東洋カープを去る選手たちその3・西原圭大投手

西原圭大投手は今治北高校、関西外国語大学から社会人野球のニチダイに進み、2013年ドラフト会議でドラフト4位で広島から指名を受けました。

西原圭大投手は今治北高校時代は3年春に選抜出場、3年夏は今治西に決勝で敗れています。プロ入りの年の2013年5月に結婚、指名直前に第一子を授かっています。

変則サイドスローからスライダー、カットボールなどを投げ打たせて取る投球スタイルで即戦力右腕として期待されての入団。プロ1年目の2014年は開幕1軍を勝ち取り、1軍の11試合に登板。

プロ2年目の2015年は1軍3試合出場に終わりましたが、防御率0.00でした。3年目の2016年の今季は1軍の試合2試合に登板しましたが。いずれの試合も失点し防御率12.60と結果を残せず、3年で来季の契約を結ばない戦力外通告を受け自由契約となりました。

西原圭大投手は現役続行の意思があり、11月12日に開催されたトライアウトを受験。最速137キロを記録し打者3人を全員内野ゴロに抑えました。まだ進路は不明ですが若いこともあり、これからの去就が注目されます。

広島東洋カープを去る選手たちその4・広瀬純外野手

広瀬純外野手は佐伯鶴城高校から法政大学に進学し、2000年にドラフト逆指名2位で広島に指名されました。法政大時代は3年春に六大学9人目となる三冠王を獲得、シドニー五輪日本代表にも選出されました。

広瀬純外野手はJA全農Go・Go賞「強肩賞」を受賞するなど強肩で知られ、幾度となくチームをその肩で救ってきました。肩だけでなく、2010年には3割と2桁本塁打を記録するなど長打力と巧打力を持ち合わせた打撃に定評のある選手として知られていました。

長く層の厚い外野のレギュラーを争い、2010年にスタメンを勝ち取り5番打者として活躍。同年にはオールスターに出場、ゴールデングラブ賞も受賞しています。2013年には15打席連続出塁のプロ野球記録を記録しています。

その後は統一球や故障に苦しむことが多くなり、2015年、2016年は鈴木誠也外野手など若手外野手の台頭もあり1軍出場が果たせず、倉義和捕手とともに引退を表明。広島一筋17年のプロ生活を終えました。2017年からは中国放送の野球解説者として第二の人生をスタートします。

広島東洋カープを去る選手たちその5・倉義和捕手

倉義和捕手は、京都成章高校から京都産業大学を経て、1997年にドラフト5位で広島に入団。長く正捕手を争い、2005年からはエース黒田投手専属の捕手として出場を増やし黒田選手が活躍した2007年まで正捕手を務めました。その後黒田選手のメジャー挑戦や若手捕手の台頭、打撃の低迷もあり二番手捕手になりましたが、持ち味の強肩とリードでチームを支えました。

倉義和捕手は2013年から1軍出場試合数が減り、2015年には1試合のみの出場にとどまりました。2016年からは広島の二軍バッテリーコーチを兼任しました。2016年も1軍昇格は果たせず、カープ一筋19年の現役生活にピリオドを打ち引退を表明しました。2017年からは二軍のバッテリーコーチに専念します。

倉義和選手は広島一筋、長く二番手捕手としてチームを支えてきたいぶし銀の選手と言えるでしょう。今後もそのキャッチャーとしての能力で指導者として多くの捕手を育てていくことを期待されています。

広島東洋カープを去る選手たちその6・黒田博樹投手

黒田博樹投手は上宮高から東都の専修大学を経て、1996年にドラフト逆指名2位で広島に入団しました。ルーキーの1年目から先発ローテーション入り。6勝(9敗)をマークしいきなり頭角を現しました。

5年目の2001年には12勝8敗、オールスターにも出場。2003~2007年には5年連続開幕投手を務め、この間2006年以外二桁勝利を記録するなど広島の不動の「エース」としての地位を確立しました。2005年には15勝で最多勝のタイトルも獲得しました。

2007年12月には黒田博樹投手はロサンゼルス・ドジャースと総額3530万ドルで3年契約を結びました。2009年には野茂英雄さん、松坂大輔選手に次ぐ日本人3人目の開幕投手に。

2010年・2011年には二年連続で二桁勝利を記録しました。2012年にニューヨーク・ヤンキースと契約した後も3年間で33勝の大活躍。メジャーリーグではドジャースとヤンキース在籍の7年間で79勝(79敗)を記録しました。

その後、2014年シーズン終了後ヤンキースからFAとなった後にドジャースやパドレスなどから1年契約で年俸18億円相当のオファーを受けましたが、黒田博樹投手はこれを断って古巣・広島と年俸4億で契約。メジャーの高額オファーを断って古巣に帰ってきたことは大きな話題となりました。

広島に帰ってきた後も2015・2016年ともに二桁勝利をマーク、同じく古巣に阪神から帰ってきた新井貴浩選手とともにチームの支柱として貢献。2016年の広島カープのセリーグ制覇と日本シリーズ出場の立役者の1人となりました。

カープ球団は黒田博樹投手の背番号「15」を永久欠番としました。プロ生活20年で日米通算203勝184敗、二桁勝利13回。黒田博樹選手ほどの投手は今後ほとんど出てくることはないでしょう。

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広島東洋カープを去る選手たちを今後も応援しよう

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(出典:photoACより)

今回は広島東洋カープを去る久本祐一投手・中東直己外野手・倉義和捕手・広瀬純外野手・黒田博樹投手・西原圭大投手ら6選手の経歴をお届けしました。コーチや裏方として球界に残る選手、まだ進路が決まっていない選手、解説者などの道へ進む選手など進路は様々。彼らの今後の第二の人生の活躍や成功を祈り、応援しましょう!人気の広島東洋カープのチケット情報はチケットキャンプ(チケキャン)で。

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