大横綱、理事長…大相撲界のカリスマ、北の湖さん逝く

大相撲九州場所の途中、大変残念なニュースがありました。日本相撲協会理事長の北の湖親方が、直腸がんによる多臓器不全のため亡くなられました。62歳でした。ここでは、北の湖理事長の現役時代からの功績やエピソードを振り返ってみます。

大相撲九州場所の途中、大変残念なニュースがありました。日本相撲協会理事長の北の湖親方が、直腸がんによる多臓器不全のため亡くなられました。62歳でした。

現役時代は大横綱、引退後も長年大相撲に尽力されました。亡くなられたのが2015/11/20(金)の夜で、12日目の19日(木)まで福岡で仕事を続けていました。北の湖理事長と同じく北海道出身の九重親方をはじめ、朝青龍さんや現役横綱の白鵬など、歴代横綱も北の湖理事長の死を悲しんでいます。

ここでは、北の湖理事長の現役時代からの功績やエピソードを振り返ってみます。

大相撲・北の湖理事長は通算951勝、優勝24回の大横綱だった

北の湖敏満、本名小畑敏満さんは、1953年5月、北海道有珠郡壮瞥町に生まれました。元横綱の二代目若乃花と同学年です。四股名「北の湖」は、洞爺湖が由来です。子供の頃から「怪童」と噂され、三保ヶ関部屋に入門。都内の中学に通いながら、中3で幕下に昇進しました。

関脇だった20歳で初優勝し、1974年、21歳で第55代横綱になりました。1984年に24回目の優勝を飾った後、1985年1月に引退しました。横綱在位11年目、63場所目での引退でした。1978年に5場所連続優勝など強さを見せつけ、「憎らしいほど強い横綱」と言われていました。今でいうと「ヒール」役だったのですね。

「輪湖時代」を築いた横綱の先輩・輪島とは、千秋楽結びの一番が15回連続という、いまだ破られない記録があります(通算では22回)。

北の湖理事長は命を削って大相撲を盛り上げた

現役引退後は一代年寄・北の湖を襲名、1985年12月、北の湖部屋を創設しました。引退から2年後に審判委員に抜擢され、1996年に理事に昇格、2002年に1回目の理事長に就任しました(第9代)。2008年、大相撲力士大麻問題の中で理事長を辞任しましたが、2012年に理事長選に当選し、返り咲きました(第12代)。

2014年には北の湖理事長の下、日本相撲協会は公益法人化しました。そのほか、自主興行巡業を復活させたり、広報部を強化させたり、海外公演を行うなど、ファンの拡大、ファンサービスの充実の面でも改革を進めました。2011年に八百長問題で本場所が中止する事態となりましたが、そこから相撲女子が増えたり、満員札止めが続くなど、人気が回復したのは皆さんご存じのとおりです。一方で、公傷制度の廃止については、ファンから復活を望む声が出ています。

2013年に還暦土俵入りを行った時には直腸がんが判明しており、体調面が心配されていました。北の湖理事長は文字通り、命を削って仕事をしていたことになります。

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