沢田研二は、ジュリーの愛称で親しまれているシンガーだ。 1967年、ザ・タイガースのボーカリストとしてシングル「僕のマリー」でデビューし、一気にグループサウンズのトップグループになった。1971年、ザ・タイガース解散後は、PYGというバンドを経て、その年の11月にシングル「君をのせて」でソロデビュー。加瀬邦彦プロデュースにより、長期にわたって音楽ランキング上位にランクインし続けた。ライブでは、衰えぬ迫力と豊かな声量、磨きのかかったパフォーマンスで、還暦を過ぎてからもコンサートでの動員数が増え続けている。また、時折ザ・タイガースのメンバーが参加する等、当時からのファンとしては青春を思い出させてくれる様な、魅力を放つパフォーマンスを見てくれる。ライブのチケットを手に入れ、沢田研二と共にあの頃を思い出して欲しい。

沢田研二の日程

551人が登録中

すべての公演 チケット一覧
  • 残り時間
  • 公演名
  • 日時・場所
  • チケット情報
  • 枚数・価格

沢田研二のチケットをお取引された方の声

チケット取引完了時の評価メッセージをご紹介しております。(12/6 06:00更新)

沢田 研二について

沢田 研二の魅力とは

沢田 研二は、1948年6月25日生まれの歌手・俳優・作詞家・作曲家だ。沢田が17歳でボーカリストとなったのは、ダンス喫茶でアルバイトをしている時に「サンダース」に声をかけられたことがきっかけだった。そして沢田のステージを見た岸部一徳から声をかけられ、岸部のバンドである「サリーとプレイボーイズ」に正式加入することとなる。その後「ファニーズ」と改名しジャズ喫茶で出演したところ、ロック歌手の内田裕也から声をかけられる。リーダー・瞳みのるの交渉の甲斐があり、渡辺プロと契約することとなった。その後「ザ・タイガース」と改名し、「僕のマリー」でデビューすると、沢田は一躍国民的アイドルとなる。1971年日本人初の日本武道館単独公演となる「ザ・タイガース ビューティフル・コンサート」でバンドは解散する。

そして沢田はPYGの活動を経て、ソロ活動への移行を果たす。1973年にリリースした「危険なふたり」は65万枚を売り上げてオリコン1位を獲得し、さらには日本歌謡大賞も受賞している。また同年から「早川タケジ」がスタイリストとして担当するようになり、以降沢田の斬新なファッションが確立されることとなる。1975年シングル「時の過ぎゆくままに」では、5週連続オリコン1位で92万枚の売り上げを記録するという爆発的ヒット作を残した。沢田 研二のソロとしてのシングル総売上は1,239万枚だと言われいる。デビュー当初から日本中を魅了し、現在もベテランアーティストとして活躍する彼の勢いはまだまだ加速し続けるだろう。

沢田研二が好きな方はこんなチケットもおすすめ