【奇跡のピアニスト】辻井伸行と恩師・川上先生の12年間に迫る!

2009年にわずか20歳で第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールにおいて日本人として初の優勝を果たして以来、日本を代表するピアニストの一人として国際的な活躍を繰り広げている辻井伸行。生まれつき小眼球症よる全盲という障害を背負いながらも、その類まれなる才能で成功を収めた背景には、6歳の頃から12年間師事したピアニスト“川上先生”こと川上昌裕による影響が大きいと言われています。奇跡のピアニスト・辻井伸行を育てた師匠・川上先生のプロフィール、辻井伸行とのレッスンやエピソードに迫ります。

奇跡のピアニスト・辻井伸行を育てた川上先生とのレッスンやエピソードをご紹介

2009年にわずか20歳で第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールにおいて日本人として初の優勝を果たして以来、日本を代表するピアニストの一人として国際的な活躍を繰り広げている辻井伸行
生まれつき小眼球症よる全盲という障害を背負いながらも、その類まれなる才能で成功を収めた背景には、6歳の頃から12年間師事したピアニスト“川上先生”こと川上昌裕による影響が大きいと言われています。
「先生がいたから、ぼくはピアニストになれた」と語る奇跡のピアニスト・辻井伸行を育てた師匠・川上先生のプロフィール、辻井伸行とのレッスンやエピソードに迫ります。

辻井伸行の師匠・川上先生のプロフィールは?

辻井伸行を小学校1年生から高校3年生までの12年間、多いときには1日おきにレッスンしていたという川上先生とはどんな方なのか、そのプロフィールを紐解いていきます。

川上昌裕(カワカミマサヒロ)

1965年5月28日生まれ 北海道旭川出身
東京音楽大学准教授

たくさんのクラシックのLPレコードを持っていた音楽好きの父親の影響で、3歳くらいからクラシック音楽に興味を持つ。当時のお気に入りはベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」。
同じく父親の影響で、自宅にあったアップライトピアノに触り始め、母親に連れて行かれた従兄が習っていたピアノ教室の先生から小学校いっぱいレッスンを受ける。
小学校3年生の時にショパンと出会い、ピアノの世界の奥深さを知ったことで、ピアニストとして音楽の道に進むことを意識する。

  • 1984年
    東京音楽大学ピアノ演奏家コースに入学。弘中孝、三浦捷子に師事。
    在学中からソロと室内楽での活動を始める。
  • 1988年
    東京音楽大学ピアノ演奏家コースを首席で卒業。
    第1回ピアノ・リサイタルを開催。
    同年4月、バルセロナのマリア・カナルス国際コンクールにて第4位入賞。
    同年9月、ウィーン市立音楽院(旧ウィーンコンセルヴァトリウム)に入学。ディアンコ・イリエフ氏に師事。
  • 1990年
    ヨーロッパを中心にソロ・室内楽のコンサート活動を開始。
  • 1992年
    ウィーン市立音楽院を首席で卒業。
    その後、ウィーン国立アカデミーのトイフルマイヤー教授のもとでさらに研鑚を積みながら、在欧中にウィーン・ショパン協会主催のリサイタル、弦楽器や管楽器とのアンサンブルなど、数多くの演奏会に出演。
  • 1995年
    帰国。
    全国各地で毎年定期的に行っているリサイタルやオーケストラとの共演で高い評価を受けている。
    ロシアの作曲家ニコライ・メトネル、ニコライ・カプースチンの作品普及や演奏においては特に注目を浴びており、カプースチンと直接に親交を持つ数少ないピアニストとして、カプースチンからピアノ曲作品137と作品138の2曲を献呈されている。
  • 2009年
    第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで優勝したピアニスト辻井伸行を育てた指導者として、テレビやラジオの番組をはじめ多くのメディアに取り上げられる。

NHK『FMリサイタル』『名曲リサイタル』『名曲アルバム』など多数の音楽番組への出演、7枚のCDアルバムのリリース、楽譜の校訂者として10点以上の楽譜を出版する他、『ちょっとピアノ 本気でピアノ』、『ピアニストは、進化する』等の著作も出版するなど活躍されています。

辻井伸行を育てた川上先生のレッスンとは?

辻井伸行は、プレゼントされたおもちゃのピアノを2歳のときには両手で弾けるようになり、5歳のときに家族旅行で訪れたサイパンのショッピングモールで大勢の人の前でリチャード・クレイダーマンをアレンジしてピアノを演奏し拍手喝采を受けます。
その姿を見ていた両親は、小学校入学を機に息子の才能をプロに見極めてもらいたいと思い、依頼したのが川上先生でした。
ウィーン留学から大学の恩師の誘いで帰国し指導者の道を歩もうとしていた川上先生は、初めて会った日、川上先生が弾く数々のフレーズをすらすらと鍵盤上でなぞるわずか6歳の辻井少年を見て才能を確信。二人三脚で歩むことを決意したそうです。

視覚にハンディがあり楽譜を読むことができない辻井少年のために行った川上先生の特徴的なレッスン方法というのが「譜読みテープ」を作って聞かせることでした。
「譜読みテープ」とは、右手左手を別々に演奏し、同時に川上先生の奥様が声で強弱記号など音楽解釈を吹き込んだもの。
しかし、一切の余計な音を入れずに録音するためには膨大な時間がかかり、時には5分録音するのに5時間かかることもあったほど大変な苦労があったようです。
このレッスン方法は、耳の良い辻井少年にはぴったりで、7歳で全日本盲学生音楽コンクール器楽部門ピアノの部第1位受賞、11歳で全国PTNAピアノコンペティションD級で金賞受賞、12歳で第1回ソロ・リサイタルをサントリーホール小ホールで開催するなど、メキメキと実力をつけていきました。

辻井伸行と川上先生が目指した「器の大きなピアニスト」


(出典:写真ACより)

川上先生が常に辻井少年に語りかけていたのが「器の大きなピアニストになれ」という言葉でした。
この言葉に応えるように数々のコンクールを制覇した辻井少年は、中学3年生のとき「2年後のショパンコンクールに出たい」と話し、川上先生を驚かせます。
コンクールに向けて2人で格闘するも、ショパンの難曲「マズルカ」を直前まで攻略できませんでした。コンクールの開催地・ポーランドに入るや曲の元となった民謡を踊りに出かけ、その本質を肌で感じたことで、本番でようやく「マズルカ」を自分にものにしましたが、残念ながら目標の決勝には進めませんでしたが、批評家賞を受賞しました。
この経験から、人間としてもピアニストとしてもさらなる成長が必要だと感じた辻井少年は、18歳の大学入学を期に、12年間指導を受けた川上先生のもとを離れることになります。
「あそこが僕らの限界だったのかも」と語る川上先生ですが、川上先生から伝えられた思いはその後も辻井伸行の中でしっかり生き続けていました。

2009年、わずか20歳の時に挑んだ第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで、辻井伸行は見事日本人初かつアジア勢初の優勝(中国人ピアニスト張昊辰と同時優勝)という快挙を成し遂げました。
そして、その優勝時のインタビューで今後の抱負について聞かれた辻井伸行が語った言葉がこちらでした。
「器の大きなピアニストになりたい」

国際的に活躍する素晴らしい音楽家がそこに至るまでには、必ず素晴らしい師匠との出会いがあるということがよく表れたエピソードですね。

視覚障害を持ちながらも、我々の想像を超える数々の苦労を乗り越えて才能を開花させたピアニスト辻井伸行が、師匠・川上昌裕と共に歩んだ12年間に伝えられた思いを胸に、これからどんな音色を響かせてくれるのか、ますます楽しみです

辻井伸行の他のオススメ記事

コメントお待ちしております

内容に問題がなければ「コメントする」ボタンを押してください。