竹内まりやと中森明菜は真逆の解釈!切ない名曲「駅」の真実

幸せな曲が多い竹内まりやさん!いつも幸せなオーラに包まれている曲はとっても素敵ですよね♪

そんなまりやさんには、切なくてちょっと「不思議な」曲もあるのをご存知ですか?その代表曲が、「駅」という曲です。

2年前に別れてしまった二人の、すれ違いを歌い上げています。誰にでも起こりそうな、共感を呼ぶ歌です。そして、聞く人によって解釈が分かれる不思議な曲なんです!実は、この歌はまりやさんが中森明菜さんのために書き、それを中森さんの解釈でしっとりと歌い上げたのですが、のちにまりやさんのセルフカバーで自分自身でも「駅」を歌っています。この二人の、「駅」に関する解釈は正反対と言えるほどのものがあります。その波紋を呼ぶきっかけとなった部分はどこでしょうか。

歌詞の解釈が分かれる不思議な箇所は、ココ!

ではここで、解釈が分かれる部分となっている竹内まりやさんの「駅」の歌詞を見てみましょう!

歌い手中森明菜と、作詞竹内まりやはそれぞれ、どんな解釈?

歌詞の中の、「初めてわかるの痛いほど私だけ愛してたことも」を、みなさんはどうとらえましたか?中森明菜さんの解釈だと、「私だけがあなたのことを愛していた」、つまりあなたは私を愛してなんかいなかったのに、という解釈をして歌っていたそうです!

対して、実際に、竹内まりやさんが歌詞にこめた思いは、「痛いほどあなたは私のことだけを愛していた」、つまり彼がどれだけ自分のことを愛していたか、今になって身に沁みてわかったという想いを込めたと言われています!二人の解釈はほぼ真逆ですよね!日本語の面白さが出た解釈の違いだなと感じる部分です。両者の解釈は、それぞれ明菜さん、まりやさんらしいとも言えますね。この曲は、もしかしたら聞き手の心理状況で、聞こえ方が違ってくる歌なのかもしれません。

竹内まりやさんは、JALスペシャルプログラム 『Expressions』 の中でこんなふうに語っています。
二人の歌い手による、それぞれの「駅」。ぜひ、中森明菜さんバージョンも聞いてみてください!けっこう違います。

竹内まりやと、中森明菜の駅

この曲が最初は、中森明菜さんのために、竹内まりやさんが書いた歌だというのは、あまり知られていませんが、他にも多くの歌い手によってカバーされています。

1986年の、中森明菜さんの「CRIMZON」というアルバムが初出で、実はその中で10曲中5曲は、竹内まりやさんの書下ろしなんです!

その中にあった、「駅」を、山下達郎さんがシングルカットさせ、竹内まりやさんに歌わせたというエピソードがあります。他に徳永英明さんによるカバーなどもありますよ。

竹内まりやのオススメ記事はこちら

気になったら、ライブで見てみよう!

竹内まりやさんの「駅」についてのご紹介、いかがでしたでしょうか。ぜひ、改めて聞いてみるとどんなふうに聞こえるか、ご自身の心理状況と照らし合わせて聞いてみると今後何度も楽しめる曲ではないでしょうか。

ぜひ、気になった方は、ライブで見てみてください!チケットキャンプでは、竹内まりやさんのライブのチケットを取り扱っています。ぜひ見てみてくださいね。

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みんなのコメント(コメント:14)

  • この記事を読む前は、明菜さんの歌い方は切なくて暗いイメージなのに対し、竹内さんの歌い方はちょっと元気で明るい感じなので何でだろうと思っていました。

    わたしも「私だけが」と思っていましたので何でそんなに元気に明るく歌うのだろう?と思っていました。

    「私だけを」なんですね。

    でも、「私だけが愛していて別れた」なら傷ついたのは私であり、「今は別の人と一緒に元気に暮らしている」という気持ちなのだから明るく歌ってもいいような気がしますが、「私だけを愛していて別れた」なら傷ついたのは彼の方じゃないかな?
    そして彼は今電車の中でうつむいていて、後姿が哀しく心に残るのに明るく歌っていいの?という疑問が湧きます。

  • この記事を読む前は、明菜さんの歌い方はとても切なくて暗いイメージですが竹内さんの歌い方は結構元気で明るい歌い方だったので???と思ったものです。

    私も「私だけが」と思っていました。

    「私だけが」であれば傷ついたのは「私」であり、「私だけを」なら傷ついたのは「彼」のほうでしょう。

    私が傷ついたのなら「今は元気だから気にしないでね」という気持ちで明るくてもいいような気がしますが、傷ついたのは彼であり、そのことに気づいたのなら、そして今の彼は電車の中でうつむいていて、しかも後姿も哀しく心に残るんですよね。
    なのにそんなに明るく歌っていいの?とも思います。

  • 聴く人の解釈で良いです。(を)(が)どっちでもいいわ!

  • Youtubeで竹内まりやさんが歌っている『駅』を聴いて
    歌詞に違和感を感じました。
    私も「私だけ(が)愛してたこと(もわかる)」と解釈していたのですが、
    確かに「私だけ(を)愛してたこと(もわかる)」と歌っているように感じます。

    ジョニミッチェルの『リバー』と同じで
    彼は私のことだけを愛していたのに
    私はなぜもっと彼の愛を信じなかったのだろう
    と昔の自分を責めている詩だと思います。
    このサイトに記載の解釈を読んで納得しました。

    皆さんは納得しないかもしれないですが、
    「彼のせいで別れた…」のではなく
    「彼の愛を信じ切れなかった私のせいで別れた…」の方が、悲しみがより深く
    臨場感も出るのではないでしょうか。

  • 確かに、紛らわしいと言えば紛らわしい。しかし、「を」、なんですねぇ、これが。
    「が」だとすると、彼は、私のことを愛していないのに付き合っていた事になります。
    何故でしょう。それは彼女があまりにも彼に一途なので、その愛に応えてあげていたのです。自分を犠牲にして。その事が、別れて初めてわかった。今私は、彼に感謝の念を抱いる。その状況で、現在別の女性と暮らしている(もしかしたら今度は、いや今度こそ彼が愛しているかも知れないですよ)彼に対し、「後ろ姿がやけに哀しく」とは思わないでしょう。

  • 書いた本人は 私だけ(を)愛してたことも ということなんだろうけど、
    よくよく考えてみると、私だけ(が)愛してたことも という解釈のほうが妥当なんじゃない?
    私だけ愛してたこともを じゃないから。

    あなたの気持ち初めてわかるの痛いほど というのは自分を愛していたということでしょう。
    なら、もをつけて違うのを持ち出すのはおかしい。
    それに、私だけ(を)愛してた って、わかるものなのかな?

  • まりやさんの歌を聴くと、私だけ(を)愛してたことも でしょうが
    改めて歌詞をよく見ると、私だけ(が)愛してたことも じゃないの? と思えたり。

    というのは、今になってあなたの気持ち初めてわかるの痛いほど というのは自分が愛されていたというように普通は解釈するんじゃないかな。そこまでは。
    つまり、私だけ(を)愛してたことを です。
    ところが、私だけ愛してたことも と「も」を使ってるということは別なことを表現していることになる。
    自分を愛してなかったのに、気持ちが痛いほどわかるというのは恋のバラードとしては矛盾するけど、「私だけ愛してたことを」というのを「私だけ愛してたことも」と書いてしまっただけ。と思えてしかたがない。

  • 何十年も明菜解釈でした
    が、ふと竹内解釈が頭をよぎりました
    年を取った自分の不遇な環境に涙です・・・

  • 歌詞全体から解釈してみましょう 彼:二年間から同じレインコートを着ている、歩き方から健康は変わっていない健康そうだが 眼差しは変わっている、電車の車内ではうつむいている 家庭を持っている 女性を愛していても伝わらなかった男 女性:彼を昔愛していた 彼の気持ちが判らなかった 心に傷が残る別れをしている 髪型が変わった 家庭を持っている 元気に暮らしている  このことから 落ちぶれていて新しい服を買えない貧乏な生活感が漂っていて疲れている彼を キャリアを積んでバリバリ仕事をこなして輝いている女性が哀れんでいる 一緒になっていたらもっといい暮らしができたのにね 彼を可哀想に思う歌では二のでしょうか と思う今日この頃です

  • 当時、中森明菜さんがボーカルを極端に抑えて演奏を全面に出したアルバムにして発売したのがこのアルバムだったと思います。何を歌ってるのか、さっばりわからなくて苦情殺到し、通常盤をあわてて出したいわくつきのアルバムだったはず。山下達郎さんも激怒して解釈がワケわからん歌手だと非難してたのを思い出されます。

  • いや、明菜さんはそんな解釈で歌ってないですよ。少なくとも、本人がそんなこと言ったことはないはず。

    第一、日本語として変です。
    誰が歌っても、私だけ(を)愛してたことも、でしょう。

    お二人の解釈の違いは、そこではない部分にあると思いますよ。

  • 自分もこの部分、どっちなんだろうとこの曲を思い出すたびに思ってました。
    曲全体を通しても、両方成り立ちうるので。
    その上で、「私だけ(を)」という解釈(竹内)の方が深みがあるなーと思ってました。

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