今年もコンサート開催!フジコヘミングの生い立ちとは?

日本を代表するピアニスト・フジコヘミングのコンサートツアーが、5月5日(火)から開催されます。今回は、彼女がさまざまな困難をのりこえ、デビューにいたるまでのエピソードを紹介します。

日本を代表するピアニスト・フジコヘミングのコンサートツアーが、5月5日(火)から開催されます。

「辛いことがあっても私は負けなかった。いつかはこの状況から抜け出せる日が来ると信じていたから」という彼女の言葉からもわかるように、若い頃には数々の苦難に直面し、それに耐えてピアニストとしては遅咲きのデビューを飾ったフジコヘミング。いまでは、毎年コンサートツアーを重ねるまでの人気を確立させています。

今回は、彼女がさまざまな困難をのりこえ、デビューにいたるまでのエピソードを紹介します。

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5歳からピアノを始めたフジコヘミング

フジコヘミングは1937年生まれ。 スウェーデン人の父と日本人の母のハーフとして生まれました。しかし、父は家族を日本に残し、ひとりスウェーデンへ帰国してしまいました。ピアノ教室で講師をしている母に5歳の時からピアノを習うも、母の教えはとても厳しかったそうです。 この時フジコヘミングの母は「何か得意なものを身につけさせたいと厳しく教えた」と、のちに話しています。

9歳の時にフジコヘミングがNHKのラジオ番組「天才少女」でショパンを弾くと、当時ドイツや日本で活躍したピアニスト兼指揮者のレオニード・クロイツァーにピアノの腕を認められることに。これがきっかけで、彼女はピアニストを目指すようになります。

聴力を失ってしまったフジコヘミング

そんななか、彼女を不幸が襲います。中耳炎が原因で右耳の聴力を失ってしまうのです。しかし、フジコヘミングの母はそれでも彼女にピアノを続けさせました。 無国籍状態になりながらもドイツへと留学をし、35歳の時にはレナード・バーンスタインの前でラ・カンパネラを弾き認められますが、そのままレナード・バーンスタインの企画のリサイタル中に子供の頃の中耳炎が悪化し、結果両耳の聴力を失ってしまいます。

40歳の時にスウェーデンに渡り耳の手術を行うと、聴力が4割ほど回復し、そのまま国籍をとり、スウェーデンでピアノ教師として生計を立てていくことになりました。

突然の母の訃報、そして遅咲きのデビュー

しかし、またしても不幸が。母が突然亡くなってしまい、フジコヘミングは日本へ帰国することとなります。それでも、やはり彼女はピアノを弾くことをやめませんでした。そして、実家でピアノ教師をしている時に、その演奏を聴いた一般の人からの口コミで評判が広がり、メディアに露出するようになります。そして、一躍脚光を浴び、遅咲きのデビューを飾ることとなるのです。

今では日本全国で彼女のコンサートを待ちわびるファンがいて、ピアノ演奏のみでは異例の、武道館でコンサートを開くまでの人気となりました。

コンサートへ足を運んだファンの声

観る人を感動させるというフジコヘミングの演奏。最後に、実際に彼女のコンサートに足を運んだファンの感想を集めてみました。



普通のクラシックコンサートとはちがい、たんに音色を楽しむというよりも、演奏の裏側に宿る感情に触れることで、聴く人を感動へと誘うフジコヘミング。これまでのコンサートに足を運んだことがあるファンはもちろん、CDや映像でしか彼女の演奏を知らないという方は、ぜひ生の芸術を体感してみてはいかがでしょうか。

5月から日本ツアー開始!フジコヘミングのコンサート情報

5月5日(木)東京オペラシティ公演を皮切りに、コンサートツアーを開始するフジコヘミング。感動とパワーに満ちた彼女の演奏を、この機会にぜひ生で堪能してください!チケット情報はチケットキャンプ(チケキャン)で。

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