生きててよかった!フラカン武道館公演までの長い道のり

ベテランバンドにも関わらず、順風満帆とは言いがたい経歴のフラワーカンパニーズ。フラカンにも世間の評価と自分たちの活動のギャップに苦しみ続け、もがき続けた日々があったのです。大切なことはすべてフラワーカンパニーズが教えてくれました。

ベテランバンドにも関わらず、順風満帆とは言いがたい経歴フラワーカンパニーズ。フラカンにも世間の評価と自分たちの活動のギャップに苦しみ続け、もがき続けた日々があったのです。大切なことはすべてフラワーカンパニーズが教えてくれました。

フラカン初期から東京進出まで。

大学卒業後、上京資金を貯めるためにアルバイトをしながら活動に励んでいたフラワーカンパニーズ。地元・名古屋でそれなりにファンもついており、東京でプレゼンライブを行っていました。しかし、フラワーカンパニーズをスカウトしてくれるレコード会社は現れず。最後のチャンスに臨むも、結果は残念。

上京は決めていたのでさほど焦らずにいたところ、圭介さんのバイト先に名古屋のSDさんから電話が入りました。キューンレコードのディレクターさんが気に入ってくれたので会ってみないかという内容でした。
ところが、そのディレクターさんの上司はフラワーカンパニーズを良く思っていなかったそうで、レコードは出せませんでした。当時キューンレコードが手掛けようとしていた新人にL’Arc〜en〜Cielがいたからです。キューンレコードに選ばれなかったフラワーカンパニーズはシンコーミュージックに所属することになります。

フラカン、ちょっとだけ売れるもメジャー解除。

晴れてメジャーデビューを果たしテレビや雑誌の露出も増えたフラワーカンパニーズですが、音楽性を重視されない、ややアイドル的な立ち位置に悩むようになります。

同期のアーティストと比べてもフラワーカンパニーズの扱いは小さく、自分たちの才能を疑いコンプレックスを抱いてしまうことに繋がっていきます。この時期はメンバー間の関係もギスギスしており、ボーカルの圭介さんはトイレに引きこもって歌詞を書いたり、ステージパフォーマンス後に嘔吐したりするほど精神的に参っていたようです。

CDの売り上げも落ち、ライブの動員数も減って行き、ついにフラワーカンパニーズは契約切れを言い渡されてしまいます。

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