矢沢永吉とジョニー大倉の関係とキャロルの絆とは?

1972年に結成され、わずか2年半と言う短い期間の活動の中で日本のロックシーンに伝説と大きな足跡を残したロックバンドのキャロル。

キャロルは「ファンキー・モンキー・ベイビー」などの大ヒット曲を生み出して、音楽のみならず日本中にロックな漢の生き様そのものを見せつけて、当時の若者を中心に憧れの存在になりました。

キャロルの歴史は現在でもロックンロールを体現して進化し続ける矢沢永吉と昨年11月に惜しまれながらこの世を去ったジョニー大倉の出会いから始まります。

今回は矢沢永吉とジョニー大倉のキャロルでの関係、そしてキャロルの絆について迫っていきたいと思います

矢沢永吉とジョニー大倉の出会いと軌跡

矢沢永吉とジョニー大倉の出会いは矢沢が楽器店にて「ビートルズとロックンロール好きなヤツ、求ム!」と書いた張り紙を掲示し、最初に大倉が連絡してきたころから始まります。

ジョニー大倉のトレードマークと言えばリーゼントですが、2人が初めて会った時から大倉はリーゼントでした。この2人の出会いは運命的なものでしたね。キャロルの楽曲の多くは矢沢と大倉の2人が作詞作曲をしていましたから、キャロルの根幹を担った2人の出会いでした

1972年にデビューした後は数々の大ヒットを飛ばしたキャロルですが、彼らに特徴的な巻き舌の歌唱法やリーゼントに革ジャンといったスタイルはジョニー大倉が編み出したものです。

その後2人の間の関係性の悪化や矢沢のレコード会社への不信感なども引き金となり、キャロルは解散することになりましたが、彼らが日本のロックシーンに与える影響というものは未だに少なくないですよね。

矢沢永吉とジョニー大倉の噂された確執とは?

ジョニー大倉と言えばギターやボーカルだけでなく多くの作詞家にも影響をあたえるほどの抜群の作詞センスを有していましたが、ドラッグにのめり込んで失踪騒ぎなどを起こすようになりキャロルのメンバーにも大きな迷惑をかけてしまうようになります。

その辺りから矢沢と大倉の関係に亀裂が入ったと言われています。ジョニー大倉も含めて矢沢以外の3人には「僕らは矢沢のバックバンドじゃない」というような、矢沢だけが注目されていくことに対する不信感もあったようです。

1975年に解散してからはジョニー大倉はTV番組で矢沢に対して「嫌い」発言をしたり、各種メディアで矢沢を批判することもありました。「WHO IS CAROL」という名のライブを開催したり、暴露本を出版したり、矢沢のドケチぶりを暴露するなど2人の亀裂は決定的なものとなりました。

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