埼玉西武ライオンズの輝かしい歴史!ライオンズ黄金期とメンバーを振り替える

今季まで3年連続Bクラスの埼玉西武ライオンズ。かつては10年間で9度の優勝という伝説的な成績を残しました。そんな強豪西武ライオンズにて、ライオンズ黄金期を築いた一部野手のメンバーの紹介と成績を振り返ります。堅守と強打で築き上げた黄金期のメンバーを再確認して、今後再びライオンズに黄金期が来ることを祈りましょう!

凄かった1980年代からの西武ライオンズ


昨季まで3年連続Bクラスという今までにない屈辱を味わった古豪、埼玉西武ライオンズ。

古くは稲尾和久、中西太を擁し、1956年からのパシフィックリーグ3連覇を果たした西鉄ライオンズにはじまりAKD砲と呼ばれたクリーンナップと堅守を武器に1980年から1999年の20年間で14回のリーグ優勝、8回の日本一に輝いた西武ライオンズ。この1980年からの20年間は黄金期と呼ばれる時代。現在は3年連続Bクラスに甘んじていますが、このように非常に強いチームとして有名な時代もありました。

今回は1980年代から90年代の西武ライオンズ黄金期について振り返ります。

1980年代の西武ライオンズ


まずは1980年~1989年の西武ライオンズの成績をご覧ください。

年度 順位 日本シリーズ優勝
1980 4
1981 4
1982 1
1983 1
1984 3
1985 1
1986 1
1987 1
1988 1
1989 3

1980年代は10年間で6回のリーグ優勝と5回の日本一に輝きました。1980年代の前半は当時管理野球と有名になった広岡達朗監督のもと常勝軍団を築き、1980年代の後半は甲子園でKKコンビとして名を馳せた清原和博元選手が入団し1年目から大活躍をしたりしたのもあり、1986年からはリーグと日本シリーズの3連覇を達成しました。

1990年代の西武ライオンズ


次に1990年~1999年の西武ライオンズの成績をご覧ください。

年度 順位 日本シリーズ優勝
1990 1
1991 1
1992 1
1993 1
1994 1
1995 3
1996 3
1997 1
1998 1
1999 2

1990年代前半はリーグ5連覇を達成、残念ながら日本一は1990年と1991年の二回だけでしたが、1990年代は7度のリーグ優勝を果たしました。

もし、1989年にリーグ優勝を果たしていたらリーグ10連覇といういまだに伝説として語られる巨人V9を上回る回数の連覇を果たしていたことになります。1989年に関してはもしもの話ですが、現実を見ても球団の10年間切り取ってみて9回リーグ優勝をしているチームは巨人V9時代とこの西武黄金期以外にはありません。どれだけ強いチームであったかがよく分かります。

西武黄金期と呼ばれた時代の選手たち


西武ライオンズ黄金期時代には先ほど清原和博元選手を説明に出しましたが、他にも球界を代表するクラスの選手が沢山居ました。

この時代は特に名選手が多いので、今回は野手に着目して以下の4人についてご紹介させていただきます。

    • 秋山幸二 元ソフトバンクホークス監督
    • 辻初彦 現埼玉西武ライオンズ監督
    • 平野謙 現群馬ダイヤモンドペガサスコーチ
    • 清原和博 元選手

なお、辻監督の辻の字はしんにょうの点が一つですが表示の都合上「辻」という字で記述させていただきます。ご了承ください

メジャーに一番近い男 秋山幸二


1980年、後にメジャーに一番近い男と呼ばれる男が西武ライオンズに入団しました。

その男の名前は秋山幸二。後に大型トレードと呼ばれるほどの大規模なトレードでダイエーホークスへ移籍するまで、西武ライオンズの三塁手、外野手として活躍しました。

まずは秋山幸二選手の西武時代の成績をご覧ください。

秋山幸二選手の年度別成績

年度 試合数 打率 安打数 本塁打数 打点数 盗塁数
1981 3 .200 1 0 0 0
1984 54 .236 33 4 14 6
1985 130 .252 118 40 93 17
1986 130 .268 132 41 115 21
1987 130 .262 130 43 94 38
1988 130 .292 151 38 103 20
1989 130 .301 144 31 99 31
1990 130 .256 122 35 91 51
1991 116 .297 135 35 88 21
1992 130 .296 142 31 89 13
1993 130 .247 116 30 72 9

※太字はリーグトップ

獲得タイトル

      • 本塁打王(1回):1987
      • 盗塁王(1回):1990
      • ベストナイン(8回):1986~1993
      • ゴールデングラブ賞(11回):1987~1996、1999
      • 日本シリーズMVP(2回):1991、1999
      • 月間MVP(3回):1985.5月、1990.9月、1991.5月
      • オールスターMVP(1回):1994.第1戦

獲得タイトルは西武時代だけでなく移籍後のダイエー時代のタイトルも混ざっていますが、外野手ベストナイン8回は松井秀喜と同じ回数で、8年連続ベストナインは11年連続ベストナインの張本勲に次ぐ全選手中5位、外野手では2位タイとなっております。これだけでもいかに優れた外野手であったかがうかがいしれます。

秋山幸二選手は1981年から1983年の3年間は1軍出場がありませんでしたが、イースタンリーグ(2軍)で本塁打王を取ったり、アメリカに野球留学に行ったりと、非常に期待された若手でした。

1984年は春季キャンプから1軍で、開幕スタメンの座も手に入れましたが、この年は残念ながらケガで出場試合数は少ないですが、1985年は23歳で40本100打点を達成しています。トリプルスリーで話題になっている山田哲人が初めてトリプルスリーを達成したのも23歳ですので、いかに若い時期に凄い成績を残したかが分かります。

ですが、秋山幸二選手は打撃だけではありません。8年連続2ケタ盗塁を記録したように、足も速く盗塁も上手だったのです。

上記のような事実から史上屈指の5ツールプレイヤーといっても過言ではありません。

鉄壁の守備を魅せる職人 辻初彦


1983年ドラフト2位で34年後に監督になる西武ライオンズに辻初彦選手は入団します。

後にヤクルトスワローズに移籍するまで12年間、西武ライオンズの正二塁手として黄金期の大躍進を支えた辻初彦選手の西武時代の成績をご覧ください。

辻初彦選手の年度別成績

年度 試合数 打率 安打数 犠打数 失策数 二塁守備率
1984 41 .209 19 6 3 1.000
1985 110 .275 69 15 8 .978
1986 130 .296 126 23 8 .990
1987 51 .200 25 4 6 .976
1988 130 .263 110 9 6 .992
1989 130 .304 133 9 11 .985
1990 130 .266 112 22 7 .987
1991 129 .271 135 20 5 .992
1992 123 .285 135 11 7 .988
1993 110 .319 137 10 4 .993
1994 105 .294 121 2 3 .993
1995 107 .238 73 13 7 .983

※太字はリーグトップ

獲得タイトル

      • 首位打者(1回):1993
      • 最高出塁率(1回):1993
      • ベストナイン(5回):1986、1989、1991~1993
      • ゴールデングラブ賞(8回):1986、1988~1994
      • 月間MVP(1回): 1993.8月

1984年~1986年は二塁手の他、三塁手、遊撃手も守っていました。辻初彦選手の特筆すべき場所は、二塁の通算守備率の高さです。

辻初彦選手の二塁通算守備率は.988であり、これは2014年と2015年の広島、菊池涼介選手(.987と.988)と同等の守備率です。菊池涼介はいまや球界屈指の守備の名手として有名で、二塁手の歴代シーズン最多補殺1位~3位を独占している選手です。そのような選手と並ぶほどの守備率の高さは堅実で信頼できる守備と言える1つの材料でしょう。

西武ライオンズ黄金期は失策数が非常に少なく、2016年シーズン終了現在、シーズンの最小失策記録、最高守備率の記録を保持しています。この記録からも分かるほどの堅守のチームにおいて、辻初彦選手は非常に貢献した名手であることが分かります。

堅実な犠打と魅せる肩 平野謙


1987年11月に中日ドラゴンズからトレード移籍してきた平野謙選手。

今や最多犠打の選手と言えば川相昌弘現巨人3軍監督ですが、この川相元選手が通算犠打の最多記録を1998年に更新する前の通算犠打の最多記録者でした。

そんな元最多犠打記録保持者の平野謙選手の西武時代の成績をご覧ください

平野謙選手の年度別成績

年度 試合数 打率 安打数 犠打数 失策数 補殺数
1988 130 .303 154 41 1 10
1989 98 .268 98 36 1 21
1990 123 .367 119 50 1 10
1991 125 .281 129 50 0 5
1992 122 .280 122 48 2 3
1993 100 .239 74 29 0 3

※太字はリーグトップ

獲得タイトル

      • 最多盗塁(1回):1986
      • ベストナイン(1回):1988
      • ゴールデングラブ賞(9回):1982、1985、1986、1988~1993

特筆すべきはやはり犠打数です。今は世界一の最多犠打記録保持をしている川相昌弘現巨人3軍監督に次ぐ2位の記録を保持している。これだけで犠打がどれほど上手な選手であったかが分かります。

それだけでなく、もう一つ大きな特徴があります。それは1989年に記録した21補殺です。外野手のシーズン補殺記録は23です。あわやシーズン補殺記録数更新というほどの補殺を記録している時点で、その肩で当時のライオンズファンはどれほど魅了されたかが想像できます。

秋山清原デストラーデ3選手のAKD砲、秋山清原バークレオ3選手のAKB砲など、豪快で豪華な打撃がよくピックアップされますが、そのようななかで堅実に走者を送るという仕事をし、守備ではその肩で観る人々を魅了した名選手を擁していたことが分かります。

記憶に残るスーパースター 清原和博


1985年に6球団競合の末にドラフト1位で西武ライオンズに入団しました。

甲子園で大暴れしたKKコンビの片割れで、その打撃に魅せられた方も少なくはないかと存じます。

清原和博元選手は世代を代表する選手でもあり、清原和博元選手が自分にとってはスーパースターだ!という方も多いかと思います。そのスーパースター、清原和博元選手の西武時代の年度別成績をご覧ください

清原和博選手の年度別成績

年度 試合数 打率 安打数 本塁打数 四死球数 出塁率
1986 126 .304 123 31 62 .392
1987 130 .259 115 29 96 .382
1988 130 .286 129 31 104 .410
1989 128 .283 126 35 115 .424
1990 129 .307 134 37 126 .454
1991 126 .270 121 23 90 .390
1992 129 .289 134 36 89 .401
1993 128 .268 120 25 91 .389
1994 129 .279 127 26 114 .411
1995 118 .245 99 25 100 .392
1996 130 .257 125 31 76 .357

獲得タイトル

      • 最高出塁率(2回):1990、1992
      • 新人王:1986
      • ベストナイン(3回):1988、1990、1992
      • ゴールデングラブ賞(5回):1988、1990、1992~1994
      • 月間MVP(5回): 1986.9月、1990年8月、1992年9月、1994年5月、2001年6月
      • オールスターMVP(7回):1986第2戦、1987第3戦、1990第2戦、1993第1戦、1996第2戦、1997第2戦、2000第3戦

無冠の帝王と呼ばれることもありますが、圧倒的な四死球数で最高出塁率を2回獲得していますし、オールスターMVPもなんと7回獲得しています。これは最多記録です。更に、新人王も獲得しています。

獲得タイトル自体はかなりあります。そして、清原和博という選手は非常に四死球数が多いです。

死球に関してはNPBの通算記録を保持し、四球に関しては複数回シーズンで最多で四球を選んでいます。

ただし三振もNPBの通算記録を保持するくらい多いので、フリースインガーで自分勝手に振り回しているイメージを持つ方も多いかとおもいます。ですが、この出塁率、四球数から分かる通り、チームが勝つためにバットを振らずに出塁することもできる選手であることが分かります。

埼玉西武ライオンズはライオンズ黄金期を再来させられるか


今回はライオンズ黄金期と呼ばれる1980~2000年の選手4名を紹介させていただきました。

今の埼玉西武ライオンズも規定立てば本塁打王の神話が継続中の中村剛也選手に救世主と呼ばれるメヒア選手、歴代シーズン最多安打記録保持者の秋山翔吾選手に2016シーズン1軍でのヒットの半分近くのホームランを放った山川穂高選手。

この野手陣を見ていると今度はこの打撃力で黄金期を作っていってくれるのではないかと期待できます。

今季こそ8年振りに優勝をして、埼玉西武ライオンズには今年から黄金期として伝説を再び作り上げることを期待しましょう!

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