WBC監督、ソフトバンク、巨人、ミスターホークス小久保裕紀の生きざま

小久保裕紀は野球選手としてソフトバンクや巨人での活躍はもちろん、WBC監督に抜擢されるなど指導者としても活躍しています。彼の持つ強力なキャプテンシーはチームを常に勇気づけてきました。WBC監督として、そしてソフトバンクや巨人の選手としての経歴などミスターホークス小久保裕紀の生きざまに迫ります。

ミスターホークス小久保裕紀

九州唯一のプロ野球球団として地元に愛される福岡ソフトバンクホークス。小久保裕紀は1990年代の福岡ダイエーホークス時代の低迷するシーズンを過ごし、その一方で1999年でのパリーグ優勝、そして日本一などホークスの山あり谷ありのチーム状況をすべて中心選手として過ごしたことからミスターホークスとも言われるホークスを代表する選手でした。

そしてプレーヤーとしての引退後もWBC日本代表など侍ジャパンの監督としても采配をふるうなど、小久保裕紀の活躍はホークスのみではとどまりません。

今回は小久保裕紀のプロフィールや経歴、これまでの成績、年俸など波乱万丈な野球人生を振り返ります。

小久保裕紀のプロフィール

  • 和歌山県和歌山市
  • 1971年10月8日
  • 182cm
  • 87kg
  • 右投右打
  • 内野手、外野手
  • 和歌山県立星林高等学校-青山学院大学
  • 福岡ダイエーホークス(1994-2003)-読売ジャイアンツ(2004-2006)-福岡ソフトバンクホークス(2007-2012)

ミスターホークスとしてファンから愛された小久保

小久保裕紀は青山学院大学からプロ野球入りするときにホークスとジャイアンツ2球団からの競合の末、ホークスを逆指名し入団します。1年目は試合に使われたものの目立った活躍はできませんでしたが、2年目からレギュラーとして定着しホークスの中心選手としての地位を固めていきます。

しかしチームは1989年に福岡に移転して以降、下位に低迷し続けたことからホークスファンの不満が爆発しホークスの監督や選手に批判が高まるなど苦しいシーズンを過ごしました。

しかし1999年ホークスがチームとしてついに花開きます。パリーグ優勝そして日本一にも輝き福岡の街は喜びに沸くとともにホークスが福岡の人たちに認められた瞬間だったと言えるでしょう。そして小久保裕紀自身もシーズン通して4番バッターとして出場し、チームの日本一に貢献しました。

ホークスの中心選手として苦しいシーズンを過ごし、その苦しさをホークスファンと共に乗り越え日本一になった姿は多くの人からミスターホークスとして愛される大きな要因だと言えるでしょう。

波紋を呼んだ巨人への移籍

小久保裕紀はミスターホークスとして活躍し、まさにチームを代表する顔としての存在感を放っていましたが、2003年ホークスが日本一に輝いた年にはオープン戦での怪我もあり一度も一軍の試合に出場することはありませんでした。

それでも当然ホークスファンは2004年に小久保裕紀は復活するものとして期待していましたが突然の巨人への移籍が発表されます。しかも移籍が無償トレードであったことから、「なぜチームの大黒柱の小久保さんを追い出すんだ」などとホークスのチームメイトが小久保裕紀の移籍に対するチームへの不信感が広がるなど大きな波紋を呼びました。

しかしこの移籍は小久保裕紀自身の決断によるもので、その背景には球団社長への不信感があったと言われています。球団から必要とされていないと感じた小久保裕紀は新たな場所での挑戦を心に誓ったんです。

この移籍に対するホークスファンの反応やチームメイトの反応は小久保裕紀がどれだけ周りの人から信頼されているかを如実に表しています。

そして小久保裕紀は3年間の巨人での選手生活を送った後、再び福岡に戻り最後はホークスの選手として現役生活に終止符を打ちました。

WBC侍ジャパンの監督に抜擢

2013年小久保裕紀は野球日本代表の監督に抜擢されます。それまで全くプロの監督としての経験がない小久保裕紀が監督に指名されたことは少なからず反発もありましたが、人間的に信頼されていることやリーダーシップの強さなどを評価されて侍ジャパンの監督としてWBC2017に挑むことになりました。

本格的な国際大会での初采配は2015年に行われたWBSCプレミア12で、1次ラウンドは5戦全勝で順調に勝ち上がり準々決勝ではプエルトリコに快勝したことで期待が高まりました。

しかし準々決勝の韓国戦で7回までほぼパーフェクトで圧倒的なピッチングをしていた大谷翔平投手を交代させ、3点リードの展開からの逆転を許したことから野球ファンや野球評論家を中心に批判を浴びることになります。

WBC2017ではメジャーリーグの選手の招集などにも期待がかかりましたが青木宣親選手一人の招集にとどまるなど選手選考に苦しみ、大谷翔平投手の怪我によるリタイアなどもあり小久保監督の思い通りのチーム構成を作ることができませんでした。

野球ファンなどからは「今回のWBC日本代表は期待できない」などの声が上がる中、小久保監督本人は言い訳せず、今いる選手の能力を最大限に生かしチームをまとめるべく指揮をふるい、1次ラウンド、2次ラウンドと全勝で準決勝に進出します。

そしてベースボールの母国アメリカとの対戦となった準決勝では惜しくも2-1で侍ジャパンは敗戦し小久保監督はいさぎよく日本代表監督の辞任を発表しました。

小久保裕紀のプレースタイル

小久保裕紀の選手としてのプレースタイルを紹介します。

右のパワーヒッター

右のパワーヒッターとして高く評価され、一時期は当時読売ジャイアンツに所属していた松井秀喜選手と比較し、左の松井、右の小久保と言われるほどのプロ野球を代表する右の長距離砲でした。

「ヒットの延長がホームランではなく、自分のスイングの延長にホームランがある」といかにもホームランバッターらしい言葉も残しています。一本足打法から繰り出されるアッパー気味のスイングは大きな弧を描く美しい打球で小久保裕紀のホームランバッターとしての魅力をより大きなものにしました。

プロでのホームラン数は413本に上り、日本のプロ野球の長い歴史の中でホームラン400本と2000本安打を達成したのは長嶋茂雄、山本浩二、金本知憲に続いてたった4人しかいない歴史に残る快挙です。

安定した守備

守備範囲はそれほど広くないものの、ゴールデングラブ賞を受賞するなど安定した守備で知られ、特に捕球そしてスローイングに関してはミスの少ない守備をしていました。投手からすると安心感のある内野手だったと言えるでしょう。

強力なキャプテンシー

小久保裕紀の一番の特徴は誰もが付いていきたくなるリーダーシップ、強力なキャプテンシーだと言っていいかもしれません。投手がピンチになればマウンドに向かって声をかけ、チームを鼓舞するべくいつもプレーは全力でした。

プロになる前から小学校、中学校、大学とチームのキャプテンを務めていて、子供のころから強いキャプテンシーを持ってプレーしていたんでしょう。誰からも信頼される人格は小久保裕紀の選手として、人としての大きな魅力だと言えます。

小久保裕紀の成績と年俸

小久保裕紀のプロ19年間の成績と年俸を紹介します。

福岡ダイエーホークス

1年目の成績

試合数78 打率.215 本塁打6 打点20 年俸1200万円

2年目の成績

試合数130 打率.286 本塁打28 打点76 年俸1500万円

3年目の成績

試合数126 打率.247 本塁打24 打点82 年俸5000万円

4年目の成績

試合数135 打率.302 本塁打36 打点114 年俸5000万円

5年目の成績

試合数17 打率.225 本塁打2 打点11 年俸9500万円

6年目の成績

試合数130 打率.234 本塁打24 打点77 年俸8000万円

7年目の成績

試合数125 打率.288 本塁打31 打点105 年俸7600万円

8年目の成績

試合数138 打率.290 本塁打44 打点123 年俸1億8000万円

9年目の成績

試合数136 打率.292 本塁打32 打点89 年俸2億4000万円

10年目の成績

試合数0 打率.000 本塁打0 打点0 年俸2億1000万円

読売ジャイアンツ

11年目の成績

試合数125 打率.314 本塁打41 打点96 年俸2億1000万円

12年目の成績

試合数142 打率.281 本塁打34 打点87 年俸2億4000万円

13年目の成績

試合数88 打率.256 本塁打19 打点55 年俸3億

福岡ソフトバンクホークス

14年目の成績

試合数124 打率.277 本塁打25 打点82 年俸3億

15年目の成績

試合数106 打率.253 本塁打20 打点56 年俸3億

16年目の成績

試合数144 打率.266 本塁打18 打点81 年俸3億

17年目の成績

試合数112 打率.279 本塁打15 打点68 年俸3億

18年目の成績

試合数98 打率.269 本塁打10 打点48 年俸3億

19年目の成績

試合数103 打率.239 本塁打4 打点34 年俸3億

打率、本塁打、打点の数字を見ても分かる通り、まさにホームランバッターだと言える数字が並んでいます。打率はそれほど目立つ数字を残していないところもある意味ホームランバッターらしい成績です。

個人タイトルはホームラン王と打点王の二つのタイトルを獲得しています。

ホームラン数は40本を超えるシーズンも複数あります。右バッターで40本を超える日本人バッターは12球団を見回してもなかなか出てくるものではないので小久保裕紀の豪快なスイングは福岡ソフトバンクホークスのみならずプロ野球ファン全体に大きな印象を残すものとなりました。

小久保裕紀の弟は野球選手?

小久保裕紀には2歳年下の弟、小久保隆也さんがいます。隆也さんは智弁和歌山高校時代に1年夏と3年夏の2度甲子園に出場するほどの選手でした。その後大学は兄と同じ青山学院大学に進み社会人野球ではホンダでもプレーしていたようです。

そして現在は意外にも腹話術のいっこく堂さんのマネージャーをしているそうですね。

波乱万丈な小久保裕紀の野球人生

小久保裕紀はミスターホークスとして波乱万丈な野球人生を送ってきました。怪我での離脱や読売ジャイアンツへの移籍におけるゴタゴタなど良いことばかりではなかったでしょう。しかし小久保裕紀は常に周りの人から信頼され必要とされることで、福岡ソフトバンクホークスに戻ってミスターホークスとして選手生活の最後を過ごすことになりました。

WBC日本代表の監督にも抜擢され日本を背負う立場も味わい大きな経験を積んだ小久保裕紀は、いつか監督として福岡ソフトバンクホークスに戻ってくることを期待しましょう。

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