福岡ソフトバンクホークス川崎宗則選手!日本球界に復帰した”ムネリン”のプロフィールを紹介!

2012年にアメリカのメジャー・リーグに旅立ち、2017年に再び福岡ソフトバンクホークスに帰ってきたムネリンこと川崎宗則選手。唯一無二のムード―メーカーの加入で福岡ソフトバンクホークスにさらなる活気がもたらされています。イチロー選手を追いかけてアメリカに渡った川崎宗則選手は再び福岡ソフトバンクホークスの力となるべく努力を続けています。今回は福岡ソフトバンクホークス川崎宗則選手のプロフィールや経歴、性格、成績、年俸などを紹介します。

メジャーから福岡ソフトバンクホークスに復帰した川崎宗則選手!

(出典:いらすとや

ホークスの選手として人気選手となり、その後メジャー移籍をしてアメリカでプレーしていた福岡ソフトバンクホークス川崎宗則選手。「ムネリン」の愛称でファンからも愛された選手が、再び福岡ソフトバンクホークスに復帰し、日本球界に帰ってきました!

日本でもアメリカでも変わらぬムードメーカーとしてチームを明るくさせるパワーを持っている川崎宗則選手の復帰で、福岡ソフトバンクホークスのチーム内にも活気が出てきています。

今回は福岡ソフトバンクホークスの選手として、再び注目を集めている川崎宗則選手のプロフィールや経歴、性格、成績、年俸、イチロー選手とのエピソードなどを紹介します!

福岡ソフトバンクホークス川崎宗則選手のプロフィール

  • 名前   :川崎宗則(かわさき むねのり)
  • 出身地  :鹿児島県姶良市
  • 経歴   :鹿児島県立鹿児島工業高等学校-福岡ダイエーホークス(福岡ソフトバンクホークス)-シアトル・マリナーズ-トロント・ブルージェイズ-シカゴ・カブス-福岡ソフトバンクホークス
  • 生年月日 :1981年6月3日
  • 身長   :180cm
  • 体重   :75kg
  • 投球・打席:右投左打
  • ポジション:内野手
  • 背番号  :52

福岡ソフトバンクホークス川崎宗則選手の経歴

川崎宗則選手は兄の影響で野球を始め地元の少年野球チームに入団し、小学生の頃から高校生までずっと遊撃手のポジションを守り続けていました。

小学生の頃は右打ちの打者だった川崎宗則選手は、中学生の時にイチロー選手に影響されて左打ちの打者に変更します。

高校では甲子園出場はならなかったものの、足の速さや安打を次々と打つプレースタイルから薩摩のイチローこと「サツロー」とも呼ばれていたそうです。

そして1999年のドラフト会議において、当時の福岡ダイエーホークスから将来性を高く評価され4位で指名を受け、プロ入りを果たすことになります!

福岡ソフトバンクホークス川崎宗則選手の特徴

バットスピードとコンタクト能力の高い早打ち打者

川崎宗則選手は決してパワーはありませんが、バットスピードとボールに当てるコンタクト能力に優れた打者です。2010年にはシーズン1年間のファウルの数が546個を記録し、両リーグトップのファウル数を打っていることからもボールにバットを当てる能力に優れているのが分かります。

川崎宗則選手はメジャー・リーグに移籍する前には、カウントが浅い段階からどんどんバットを振っていく「早打ち打者」として知られ、コンタクト能力の高さも相まって三振の少ない打者でもありました。

一方で、ボールをしっかり見ることが少ないため四球が少なく、打率のわりに出塁率が低かったのが川崎宗則選手の唯一の課題だともいえます。メジャー・リーグ時代には「ランナーがいない時は何とか塁に出ることを考えながらピッチャーに球数を投げさせることが今年の目標」とも語っていたこともあります。

チームを明るくするムードメーカー

川崎宗則選手は性格も非常に明るく物怖じしないタイプの選手で、周りを明るくするムードメーカーとしてチームに欠かせない存在になっています。

特にメジャー・リーグに渡ってからの川崎宗則選手の目立ちっぷりは、メジャー球団の地元でも話題になったり、日本のニュースでも取り上げられたりするなど大きな反響を呼んでいました!

決して上手いとは言えない英語を駆使し、インタビューに答える川崎宗則選手の話し方や態度に現地メディアのインタビュワーが大ウケするなど、これまでの日本人ではなかったメジャー・リーグのチーム内でのムードメーカー的役割を果たしていました!

イチロー選手の大ファン

川崎宗則選手はイチロー選手の大ファンとしても有名で、イチロー選手本人からも「(川崎宗則)はイチローマニアですね」と言われています。

福岡ソフトバンクホークスに入団して以来着けている背番号52は「イチロー選手の背番号51の一つ後の番号」という思い入れもあり、川崎宗則選手は52番にかなりの愛着と強いこだわりを持っています。

福岡ソフトバンクホークスでレギュラー選手として活躍し始め、背番号をもっと若い番号に変更しないかというチームからの打診にも断り続けていたようですね。

川崎宗則選手が2011年のオフにメジャー・リーグへの挑戦を表明したのも「イチロー選手と同じチームで野球がしたいから」というのが一番の理由で、メジャー・リーグで一番最初に着けることになった背番号61は「逆から読めばイチロー。素晴らしい番号をいただいた」とすべてをイチロー選手に結び付けるイチロー愛を見せていました。

福岡ソフトバンクホークス川崎宗則選手の成績と年俸

福岡ダイエーホークス(福岡ソフトバンクホークス)

  • 2001年の成績と年俸

試合数1 打率.000 本塁打0 打点1 盗塁0 年俸600万円

  • 2002年の成績と年俸

試合数36 打率.232 本塁打0 打点8 盗塁3 年俸650万円

  • 2003年の成績と年俸

試合数133 打率.294 本塁打2 打点51 盗塁30 年俸1300万円

  • 2004年の成績と年俸

試合数133 打率.303 本塁打4 打点45 盗塁42 年俸4500万円

  • 2005年の成績と年俸

試合数102 打率.271 本塁打4 打点36 盗塁21 年俸9000万円

  • 2006年の成績と年俸

試合数115 打率.312 本塁打3 打点27 盗塁24 年俸9000万円

  • 2007年の成績と年俸

試合数95 打率.329 本塁打4 打点43 盗塁23 年俸1億4000万円

  • 2008年の成績と年俸

試合数99 打率.321 本塁打1 打点34 盗塁19 年俸1億5000万円

  • 2009年の成績と年俸

試合数143 打率.259 本塁打4 打点34 盗塁44 年俸1億5000万円

  • 2010年の成績と年俸

試合数144 打率.316 本塁打4 打点53 盗塁30 年俸1億5000万円

  • 2011年の成績と年俸

試合数144 打率.267 本塁打1 打点37 盗塁31 年俸2億4000万円

シアトル・マリナーズ

  • 2012年の成績

試合数61 打率.192 本塁打0 打点7 盗塁2

トロント・ブルージェイズ

  • 2013年の成績

試合数96 打率.229 本塁打1 打点24 盗塁7

  • 2014年の成績

試合数82 打率.258 本塁打0 打点17 盗塁1

  • 2015年の成績

試合数23 打率.214 本塁打0 打点2 盗塁0

シカゴ・カブス

  • 2016年の成績

試合数14 打率.333 本塁打0 打点1 盗塁2

2004年に盗塁王を獲得!

高卒ルーキーとしてプロ入りした川崎宗則選手は1年目から二軍のウエスタン・リーグで着実に結果を残し、3年目の2002年にはウエスタン・リーグで打率.367を記録し首位打者になります。

そしてプロ入り4年目となった2003年に一軍に定着すると、ヒットや俊足を生かしたプレースタイルを武器にチームに刺激をもたらし、リーグ優勝と日本一に大きく貢献しました!

2004年には盗塁王を記録し、パ・リーグを代表するリードオフマンとして高い評価を受けました。その後の川崎宗則選手は福岡ソフトバンクホークスのレギュラーメンバーとして活躍し続け、ファンからも愛される選手として福岡ソフトバンクホークスの顔とも言える存在になっていきます。

イチロー選手を追ってメジャー移籍

これまで数々の日本人選手が海を渡ってメジャー・リーグに挑戦してきましたが、アメリカに渡る理由の多くが「レベルの高い本場のベースボールで自分の力を試したい」というものです。

しかし川崎宗則選手は違いました。先述したようにイチロー選手の大ファンだった川崎宗則選手は、イチロー選手と同じチームで野球をプレーしたいからアメリカに渡る決断をしたんです!

川崎宗則選手はイチロー選手を追いかけ、当時イチロー選手が所属していたシアトル・マリナーズに移籍します。しかしシーズン途中に、そのイチロー選手がニューヨーク・ヤンキースに移籍してしまい、イチロー選手と同じチームでプレーした期間はわずか半年という短いものとなりました。

川崎宗則選手はイチロー選手が移籍した翌日に「ショックではないです。イチローさんが元気にプレーしているのが一番うれしい。イチローさんが覚悟を決めてのこと。すごく応援したい。この6ヶ月間は貴重な経験ができました」とコメントしました。

2017年から再び福岡ソフトバンクホークスに復帰!

アメリカのメジャー・リーグで、合わせて3つの球団で5年間プレーした後、再び日本球界に戻ってきた川崎宗則選手。日本でプレーするのに選んだ球団は福岡ソフトバンクホークスでした!

年俸は9000万円の1年契約で、背番号も自身の思い入れがある「52」に決定し、再び福岡ソフトバンクホークスのユニフォームに袖を通すことになりました。

日本球界復帰後、まずは二軍のウエスタン・リーグでの出場となった川崎宗則選手は、13試合の出場で打率.441、10盗塁の成績を残し一軍に上がると、4月28日の対オリックス戦で、自身6年ぶりとなるパ・リーグ公式戦の出場を勝ち取ります。

1番・セカンドでスタメン出場した川崎宗則選手は、第4打席で中前安打を放ったり、守備でも好プレイを見せたりするなどしチームの勝利にも貢献しました!

その後も二塁手として出場を続けていた川崎宗則選手は日米通算1500安打を達成するなどしましたが、両足のアキレス腱に痛みを抱えながら無理してプレーしていたことが災いし、治療に専念するため7月24日に出場選手登録を抹消されました。

9月16日現在までの今シーズンの成績は、打率.241、打点4、盗塁0となっています。

チームにメジャー流の「食育」を提案

アキレス腱を痛めてからは一軍での試合出場がない状況ですが、試合以外での川崎宗則選手の提案でチームが少しずつ変わり始めています。

川崎宗則選手はナイターの試合が終わった後すぐに、選手サロンで食事ができるような環境を整えてほしいと球団に提案し、チームに「食育」の重要性を伝えています。

日本球界では試合前の練習前後に食事をとることが一般的ですが、メジャー・リーグでは試合後にボリューム満点の食事が用意されていることが多いようです。

試合が終わり、家に帰った後に食事をすると寝るまでの時間が短くなり、腹がいっぱいになる状態で眠りにつくことになります。すると寝つきが悪くなったり、体力的に疲れたりするので、メジャー・リーグでは試合後すぐに食事をして眠るまでの時間を長くすることが一般的だそうです。

メジャー流の「食育」をチームにもたらし、試合で結果を出すこと以外でも川崎宗則選手はチームに貢献しています!

「ムネリン」こと、福岡ソフトバンクホークス川崎宗則選手を応援しよう!

今回は「ムネリン」こと、福岡ソフトバンクホークス川崎宗則選手のプロフィールや経歴、性格、成績、年俸などを紹介しました。

アキレス腱を痛めたものの早期復帰が期待されていた川崎宗則選手ですが、アキレス腱の回復が長引き、現在もリハビリや治療に専念しています。早く川崎宗則選手が復帰し、チームに活力が生まれることを期待したいですね!

チームは若い選手の活躍などもあり、9月16日にパ・リーグの優勝を決めました。日本一に向け福岡ソフトバンクホークスと共に、川崎宗則選手のケガからの復帰も応援していきましょう!

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