巨人・田原誠次選手!元内野手のサイドスロー投手のプロフィールをご紹介!

巨人(読売ジャイアンツ)・田原誠次選手のプロフィールをご紹介!2011年のドラフト会議にて、巨人(読売ジャイアンツ)からの指名を受け、中継ぎ投手として活躍している田原誠次選手。高校時代から有名だったわけではなく、社会人野球で花開き、プロ野球選手としてのキャリアをスタートさせた選手でもあります。この記事では、巨人(読売ジャイアンツ)・田原誠次選手の、プロフィール・経歴・年俸・成績・性格を紹介させていただきます!

巨人(読売ジャイアンツ)・田原誠次選手のプロフィールに迫る!

現在、巨人(読売ジャイアンツ)の中継ぎ投手として活躍している田原誠次選手。

高校時代には有名だったわけではなく、社会人野球で花開き、プロ野球選手としてのキャリアをスタートさせた選手でもあります。

また、社会人時代も急に有名になったわけではなく、小さなキッカケからプロのスカウトの目に止まった経緯があるようです。

この記事では、巨人(読売ジャイアンツ)・田原誠次選手の、プロフィール・経歴・年俸・成績・性格を紹介させていただきます。

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巨人(読売ジャイアンツ)・田原誠次選手のプロフィールや経歴は?

プロフィール

  • 選手名:田原 誠次(たはら せいじ)
  • 所属:読売ジャイアンツ
  • 背番号:37
  • ポジション:投手
  • 投打:右投げ左打ち
  • 生年月日:1989年9月2日生まれ
  • 出身地:宮崎県延岡市
  • 身長・体重:180cm・80kg

経歴

  • 聖心ウルスラ学園高等学校
  • 三菱自動車倉敷オーシャンズ
  • 読売ジャイアンツ(2012~)

巨人(読売ジャイアンツ)・田原誠次選手は元内野手?経歴をご紹介!

内野手としてプレーしていた過去

宮崎県の延岡市出身というプロフィールを持つ田原誠次選手。小学校3年生のころにソフトボールを始め、中学校から軟式野球を始めた経歴を持っているようです。

高校は、”聖心ウルスラ学園高等学校”に入学。

今は、巨人(読売ジャイアンツ)で投手として活躍する田原誠次選手。高校入学時は、内野手としてプレーをしていました。

内野手としてプレーをしていた田原誠次選手でしたが、その当時はベンチ入りすらもしていないような選手でした。

その状況を見てか、聖心ウルスラ学園高等学校の監督から、投手への転向を勧められます。その助言から、田原誠次選手は投手へと転向しました。

また、投手への転向後、打撃投手をしていた際にコントロールの悪さを指摘され、サイドスローへ転向した経歴を持ちます。

田原誠次選手は、この投手への転向を”野球人生のすべて”と表現しており、もし転向していなければ野球を辞めていたとまで語っていました。

投手へ転向した2年の秋から、最終的には球速も”10km/h”上がり、投手として着々と成長を見せます。

しかし、高校3年夏の甲子園大会予選では2回戦で敗退。甲子園出場の夢は叶わぬまま、田原誠次選手の高校野球は終わってしまいました。

”無名選手”からの逆転劇

高校時代に甲子園出場が叶わなかった田原誠次選手。大学へは進学せず、”三菱自動車倉敷オーシャンズ”に入団します。

1年目から登板をし、2年目からは先発投手としても登板。チームの主力投手として活躍しました。

チームとしてはかなり必要な選手だったようで、ドラフト指名時にも「お前が抜けたらチームがどうなるのか」とまで言われたそう。

社会人4年目には、”伯和ビクトリーズ”の補強選手として、第82回都市対抗野球大会に出場。初戦の東海ガス戦で4回から登板し、9回にサヨナラ負けをし敗戦投手となりました。

しかし、その試合を見た巨人(読売ジャイアンツ)のスカウト部長が、田原誠次選手の潜在能力を評価し、ドラフト会議での指名をチームに進言したようです。

実戦では、その1度しか視察していないのにもかかわらず、指名を進言したということで、田原誠次選手の潜在能力の高さが伺えます。

結果、2011年のドラフト会議にて、巨人(読売ジャイアンツ)から7巡目で指名されます。

念願のプロ野球選手へ

ドラフト7巡目で、巨人(読売ジャイアンツ)に入団した田原誠次選手。社会人出身選手ということもあり、即戦力としてチームに貢献します。

1年目の2012年は、6月頃から1軍に定着します。7月にはプロ初先発を記録し、主に中継ぎとして32試合に登板し、”2勝(0敗)・防御率3.26”と好成績を記録します。

しかし2013年は、腰痛を発症し7試合の登板に止まります。

2014年は、シーズン後半から1軍で活躍。他の中継ぎ投手の不調が続く中、右の中継ぎ投手として20試合に登板しました。

2015年は、8月に3年ぶりの勝利を記録すると、18試合に登板し防御率が”1.00”と安定した成績を残しました。

右の中継ぎ投手として

2015年まで、右の中継ぎ投手として安定した成績を残していた田原誠次選手でしたが、その一方でなかなか1軍に定着できないシーズンが続いていました。

そんな田原誠次選手でしたが、2016年は開幕から1軍に帯同し、シーズン終了まで右の中継ぎ投手としてチームへの貢献を見せました。

自己最多の64試合に登板し、”4勝(3敗)・防御率3.46”という成績を残します。

2017年も右の中継ぎ投手として活躍。27試合に登板し、”1勝(1敗)・防御率2.89”と安定した成績を残しました。

巨人(読売ジャイアンツ)・田原誠次選手のこれまでの年俸と成績は?

2012年

<年俸>

700万円

<成績>

32試合登板/2勝0敗0セーブ/防御率3.26/23奪三振

2013年

<年俸>

1,500万円

<成績>

7試合登板/0勝0敗0セーブ/防御率6.00/8奪三振

2014年

<年俸>

1,300万円

<成績>

20試合登板/0勝1敗0セーブ/防御率2.89/15奪三振

2015年

<年俸>

1,500万円

<成績>

18試合登板/1勝0敗0セーブ/防御率1.00/18奪三振

2016年

<年俸>

1,800万円

<成績>

64試合登板/4勝3敗0セーブ/防御率3.46/29奪三振

2017年

<年俸>

4,500万円

<成績>

27試合登板/1勝1敗0セーブ/防御率2.89/17奪三振

巨人(読売ジャイアンツ)・田原誠次選手は”まじめで優しい”?特徴や性格をご紹介!

サイドスローという投球フォーム

田原誠次選手本人も、「サイドスローという投球フォームが武器」と語るように、投球フォームも特徴として挙げられます。

サイドスローから、コントロールされたストレートを中心に、スライダー・カーブ・チェンジアップを投げ分ける技巧派の投手です。

また、プロ入り後最初の春季キャンプではシンカーを、2015年シーズンにはスローカーブを習得し、まだまだ投球の幅を増やしています。

内野手としてプレーした経歴

今でこそ、巨人(読売ジャイアンツ)の中継ぎ投手として活躍する田原誠次選手ですが、高校入学時までは”内野手”としてプレーをしていたプロフィールを持ちます。

そういった経歴もあり、フィールディングの部分には本人も自信を持っているようです。

投手というポジションは、野球の花形でもあり打者を抑えられれば良いと思われがちですが、同時に”9人目の野手”と呼ばれることが多いポジションでもあります。

その中で、田原誠次選手の内野手としての経歴は生きてくるものとなっているのでしょう。

まじめで優しい性格

宮崎県延岡市に生まれた田原誠次選手ですが、4人兄弟の2番目で、高校時代からまじめな性格であったといいます。

「優しい子でした。高校時代は夜に練習から帰ってきて、泥だらけの自分のユニホームだけじゃなく、兄のユニホームも一緒に洗っていたこともありました」

(出展:サンスポ

と田原誠次選手の母親が語っていたこともあり、非常にまじめで心優しい性格であることが伺えます。

巨人(読売ジャイアンツ)・田原誠次選手!巨人軍復活へかかる期待を胸に

巨人(読売ジャイアンツ)の中継ぎ投手として活躍する、田原誠次選手のプロフィールや経歴を紹介させていただきました。

プロ入り1年目から活躍し、まだまだ20代ということで、さらなる活躍が期待されている選手でもあります。

今後も、巨人(読売ジャイアンツ)・田原誠次選手の活躍に期待しましょう!

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