中日ドラゴンズ岩瀬仁紀選手のプロフィール!蘇った鉄腕が担う未来!

ルーキーイヤーから中日ドラゴンズの中継ぎを完璧に勤め上げ、中継ぎとして5年、抑えとして10年以上もの間、中日ドラゴンズを支え続けた岩瀬仁紀選手。「中日ドラゴンズを黄金期の名選手」として、川上憲伸選手や井端弘和選手らと共に、活躍する姿をおぼえている方も多いのではないでしょうか?そんな岩瀬仁紀選手とは、どのようなプロフィールをもつ選手なのでしょうか。今回は中日ドラゴンズ岩瀬仁紀選手のプロフィール・これまでの経歴・成績・年俸・性格にも触れ、ご紹介したいと思います。

中日ドラゴンズ岩瀬仁紀選手!鉄腕セットアッパーの再起

中日ドラゴンズ岩瀬仁紀選手といえば、日本プロ野球における通算セーブ数記録保持者であり、最多登板の記録保持者でもある、言わずと知れた球界最年長投手です。

そして長きにわたって中継ぎ・抑えとして活躍できたのは、圧倒的な投球技術以外にも、驚異的なスタミナと故障知らずの身体の強さがありました。

そんな「鉄腕」岩瀬仁紀選手とは、どのようなプロフィールをもつ選手なのでしょうか?ここ数年は故障に悩まされ、引退をかけて挑んだ今季の活躍は?

今回は中日ドラゴンズ岩瀬仁紀選手のプロフィール・これまでの経歴・成績・年俸・シーズン中はストイックな生活を送る一面にも触れ、ご紹介したいと思います。

中日ドラゴンズ岩瀬仁紀選手のプロフィール

    岩瀬仁紀選手の基本プロフィールです!

  • 名前   :岩瀬仁紀(いわせ ひとき)
  • 生年月日 :1974年11月10日
  • 出身地  :愛知県西尾市
  • 身長   :181cm
  • 体重   :85kg
  • 投球・打席:左投左打
  • 経歴   :西尾東高→愛知大→NTT東海→中日ドラゴンズ

中日ドラゴンズ岩瀬仁紀選手の経歴

学生時代

寺津小、寺津中へ進学し、愛知衣浦リトルシニアで野球を始めます。

西浦東高へ進学し、3年生の頃全国高校野球選手権大会・愛知大会2回戦でノーヒットノーランを達成するというプロフィールを持っています。

その後チームは敗退し、甲子園出場はなし。卒業後、愛知大学に進学します。

この頃まで投手でありながら打撃が得意だったため、野手として試合に出ることが多かったという岩瀬仁紀選手。

1年生から外野手としてレギュラーを獲得し、当時の愛知大学リーグ歴代2位の成績を収めます。

外野手としては大学3年までにベストナインを4度し、3年秋のリーグから外野手兼投手として登板。しかし当時はまだ外野手としての評価が高く、大学オールジャパンに選ばれます。

卒業後は社会人野球のNTT東海へ就職。この頃中日ドラゴンズのスカウトだった現中日ドラゴンズ投手コーチ・近藤真市氏にスカウトされ、1998年ドラフト会議で中日ドラゴンズを逆指名。

ドラフト2位で入団が決まり、背番号は近藤スカウトが現役時代、ノーヒットノーランを達成した時につけていた「13」を与えられました。

プロ入り

即戦力として中日ドラゴンズへ入団した岩瀬仁紀選手。本人の希望は先発でしたが、開幕戦で中継ぎで初登板を果たします。

この時は1死も取れずに降板しましたが、動くストレートとキレのあるスライダーを武器に信頼を勝ち取り、シーズン終盤にはサムソン・リー選手・落合英二選手・宣銅烈選手らと勝利の方程式の一角を担い、この年中日ドラゴンズのリーグ優勝へ貢献します。

惜しくも新人王は逃しますが、最優秀中継ぎ投手賞を受賞。プロ野球選手として華々しいスタートを切る1年でした。

翌2000年は岩瀬仁紀選手本人の希望もあり、秋に1度だけ先発投手をテスト登板し、先発初勝利。

それ以外を中継ぎとして好成績を収めました。

転機、鉄腕クローザー誕生!

中継ぎとしても優秀な成績を上げてきた中日ドラゴンズ岩瀬仁紀選手ですが、2004年落合博満監督により、抑えに配置転換。

開幕直前に左足小指を骨折し、開幕に出遅れ。途中アテネオリンピック日本代表に選ばれたため、シーズン途中にチームを離れますが、この年22セーブをあげ、チームのリーグ優勝に貢献します。

翌2005年は開幕よりフル稼働。46セーブをあげ、当時の日本プロ野球シーズン最多セーブ記録を達成。

球団史上最高年俸となった2006年には、通算100セーブを達成。日本プロ野球史上初の2年連続40セーブを達成。記録尽くしの1年をチームのリーグ優勝で締めくくりました。

2007年春に球団史上最多セーブを更新すると、夏に節目となる500試合登板、秋に日本プロ野球史上初の3年連続40セーブを達成。

球威や制球に苦しみながらも、チームをクライマックスシリーズから日本シリーズ優勝へ導きます。

この年の日本シリーズで、8回まで完全試合を続けてきた山井大介選手に変わって、9回に登板して勝利し、中日ドラゴンズ54年ぶりの日本一を果たします。

また、この試合で日本プロ野球史上初の継投による完全試合を達成。

日本プロ野球では継投による完全試合を認めていないので正式な記録とはなりませんが、賛否両論巻き起こる印象的な試合となりました。

不屈の左腕!

2008年、北京オリンピック日本代表で好成績を残せず帰国しますが、帰国後は日本プロ野球史上初の10年連続50試合登板を達成。

しかしここまでは大きな怪我がなかった岩瀬仁紀選手にも、陰りが見え始めます。

2009年に左投手としては初の通算200セーブを達成。球団の通算登板記録も更新しますが、シーズン後半に原因不明の左腕のしびれに襲われるようになり、終盤は登板せずシーズンを終えました。

それでも翌2010年は名球会入りの条件を満たす、通算250セーブを達成。

2011年は開幕より不調が続きながらも、通算700試合登板、日本プロ野球史上初の300セーブなど、後半に持ち直し、数々の記録をあげました。

しかし不調は治らず、2012年夏に左ひじの違和感で2軍での調整を余儀なくされます。

限界説が囁かれる中、2013年には佐々木主浩選手の持つ日米通算381セーブを上回り、日本人最多セーブを更新。2014年は前人未到の400セーブを達成。夏に左ひじの張りを訴え2軍降格となり、岩瀬仁紀選手自身が更新してきた日本記録の、15年連続50試合登板・9年連続30セーブの記録は途絶えましたが、400セーブも含め、当分破られることはない記録だと言われています。

引退をかけ…

2015年は左ひじの故障により、初の1軍登板なしに終わった岩瀬仁紀選手。オフの契約更改では、3億円から2億5000万円ダウンの5000万円で一発更改。

これは野球協約で規定された減額制限を大幅に超える、プロ野球史上3位の減給額となりました。

2016年には通算900試合登板を達成し、15試合に登板するも防御率は自身ワーストの6点台を記録。

何度も引退が頭をよぎったそうですが、引退をかけ新球にも取り組み、2017年見事復活!6月に12年ぶりとなる月間MVPと受賞。

8月には日本プロ野球史上初の950試合登板。まさに前人未到の記録を打ち立て、鉄腕の健在ぶりをアピールしました。

中日ドラゴンズ岩瀬仁紀選手の特徴

中日ドラゴンズ岩瀬仁紀選手といえば、動く140キロ台半ばのストレートと「死神の鎌」と言われた大きく鋭く切れ込む、伝家の宝刀スライダー。

全盛期はほぼこの二つの球種の組み合わせで、打者を打ち取っていました。岩瀬仁紀選手の投げるストレートは回転が変わっているため微妙に動き、バットの芯を外します。

そしてスライダーは、好調の時は打者の膝元まで回り込んでいくほどの変化とキレがあるのだそうです。

岩瀬仁紀選手は春季キャンプの際に毎年のように新球を試していて、今季復活を果たしたのは、以前のスタイルを全く捨て、小さな変化で打者を打ち取るカットボールなどを主軸にしたスタイル。

ツーシームやシュートなど、曲がる方向や幅に変化をつけ、投球を組み立てていきます。

ベテランになってなお復活を夢見て進化を遂げる。そんな姿勢が、中日ドラゴンズ岩瀬仁紀選手の最大の特徴と言えるかもしれません。

また、日本シリーズを6度経験していますが、失点は0。ここぞ!というときに頼りになるところも、長年投げ続けられる秘訣なのでしょうね。

中日ドラゴンズ岩瀬仁紀選手のの性格

中日ドラゴンズ岩瀬仁紀選手のファンからのニックネームは「死神」。

これは背番号がタロットカードの死神を表す13であったことなど、諸説ありますが、岩瀬仁紀選手本人の性格は死神という言葉とは無縁の、いたって穏やかで真面目な性格。

春にキャンプを迎えてからシーズン終了まで野球中心の生活で、睡眠時間は最低8時間を確保。

お酒も飲めず、趣味の競馬・競輪もシーズン中はたしなむ程度。ご本人曰く、切り替えもあまりうまくなく、シーズン中は心身ともにリラックスすることはないと、諦めているんだそうです。

洋服も着られればいい、と、以前は同じチームの川上憲伸選手に買ってきてもらっていたのだそうです。

この無頓着さは自身の記録についても同じく、あれだけの大記録を打ち立てながら、記録は引退後に振り返ればいい、と語っています。

中日ドラゴンズ岩瀬仁紀選手の成績・年俸

岩瀬仁紀選手の成績などのプロフィールです!

契約金1億円、年俸1300万で中日ドラゴンズと契約した、岩瀬仁紀選手の成績と年俸です。

  • 1999年
    登板数65 投球回74.1 10勝2敗1セーブ
    防御率1.57 奪三振73 年俸1300万
  • 2000年
    登板数58 投球回80.1 10勝5敗1セーブ
    防御率1.90 奪三振65 年俸4200万
  • 2001年
    登板数61 投球回62.2 8勝3敗9セーブ
    防御率3.30 奪三振62 年俸8000万
  • 2002年
    登板数52 投球回59.2 4勝2敗0セーブ
    防御率1.06 奪三振66 年俸1億500万
  • 2003年
    登板数58 投球回63.2 5勝2敗4セーブ
    防御率1.41 奪三振69 年俸1億4000万
  • 2004年
    登板数60 投球回64.1 2勝3敗22セーブ
    防御率2.80 奪三振53 年俸2億
  • 2005年
    登板数60 投球回57.1 1勝2敗46セーブ2ホールド
    防御率1.88 奪三振52 年俸2億3000万
  • 2006年
    登板数56 投球回55.1 2勝2敗40セーブ5ホールド
    防御率1.30 奪三振44 年俸3億500万
  • 2007年
    登板数61 投球回59 2勝4敗43セーブ3ホールド
    防御率2.44 奪三振50 年俸3億8000万
  • 2008年
    登板数51 投球回49 3勝3敗36セーブ5ホールド
    防御率2.94 奪三振41 年俸4億3000万
  • 2009年
    登板数54 投球回46.2 2勝3敗41セーブ1ホールド
    防御率2.12 奪三振34 年俸4億3000万
  • 2010年
    登板数54 投球回48 1勝3敗42セーブ3ホールド
    防御率2.25 奪三振41 年俸4億3000万
  • 2011年
    登板数56 投球回48.2 0勝1敗37セーブ7ホールド
    防御率1.48 奪三振45 年俸4億3000万
  • 2012年
    登板数55 投球回51 1勝3敗33セーブ6ホールド
    防御率2.29 奪三振30 年俸4億5000万
  • 2013年
    登板数54 投球回53.1 2勝3敗36セーブ8ホールド
    防御率1.86 奪三振37 年俸3億7000万
  • 2014年
    登板数34 投球回30.2 1勝2敗20セーブ4ホールド
    防御率3.52 奪三振18 年俸3億7000万
  • 2015年
    1軍登板なし 年俸3億
  • 2016年
    登板数15 投球回10.1 0勝2敗0セーブ2ホールド
    防御率6.10 奪三振5 年俸5000万
  • 2017年(10月7日現在)
    登板数50 投球回35.2 3勝6敗2セーブ26ホールド
    防御率4.79 奪三振28 年俸5000万

中日ドラゴンズ岩瀬仁紀選手、前人未到の大記録へ!

(出典:ぱくたそ-フリー写真素材より)

ここまで岩瀬仁紀選手のプロフィールを紹介してきましたがどうでしたか?

数々の日本プロ野球記録を打ち立て、長い年月活躍してきた岩瀬仁紀選手にとって、ここ数年は引退も考えたという、非常につらい時期でした。

来季からコーチも兼任することが決まっている岩瀬仁紀選手ですが、故障さえ癒えればその投球術と経験は、中日ドラゴンズにとって大きな武器となります。

前人未到の1000試合登板に向けて、来季もマウンドに立ち続ける球界最年長左腕から、目が離せませんね!

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