中日ドラゴンズ福田永将選手のプロフィール!竜の和製大砲覚醒へ!

今季も優勝争い、クライマックスシリーズ進出争いの輪に加わることなく、シーズンが終わろうとしている中日ドラゴンズ。観客動員数も伸び悩む中、来季へ向けて研鑽を続ける若手の奮闘が続いています。そのひとりが、中日ドラゴンズ福田永将選手です。小中学生の頃より注目されていた福田永将選手のプロフィールは、これまでの活躍、どんな野球人生を歩んできたのでしょうか?今回は福田永将選手の優しい一面、経歴・成績・年俸・プロフィールを、紹介していきたいと思います。

中日ドラゴンズ待望の和製大砲!福田永将選手

ここ数年、ペナントレースに苦戦し、観客動員数も低迷している中日ドラゴンズ。かつての黄金時代を知るファンにとっては寂しいことでもあります。

そんな要因のひとつに「和製大砲の長期不在」があげられるのではないでしょうか。

中日ドラゴンズの和製大砲といえば、WBC日本代表にも選ばれた経験を持つ平田良介選手ですが、度々故障を発症し、今季は後半戦の殆どを治療と2軍でのリハビリに費やしました。

そのかわりに和製大砲の夢を引き継いだのが、福田永将選手でした。入団時からそのパワーは将来を期待され、ファンや首脳陣はいつか覚醒する日を毎年のように願っていました。

そんな福田永将選手が今年、飛躍の時を迎えました。今回はそんな中日ドラゴンズ福田永将選手のプロフィール・経歴・成績・年俸を、守備位置に苦労し、ひたむきに努力した日々や、優しい性格などを織り交ぜながら振り返っていきたいと思います。

中日ドラゴンズ福田永将選手のプロフィール

  • 名前   :福田永将(ふくだ のぶまさ)
  • 生年月日 :1988年7月23日
  • 出身地  :神奈川県横浜市
  • 身長   :181cm
  • 体重   :80kg
  • ポジション:捕手・1塁手・3塁手
  • 投球・打席:右投右打
  • 経歴   :横浜高→中日ドラゴンズ

中日ドラゴンズ福田永将選手の経歴

学生時代

福田永将選手は、小学校1年生の時に地元の野球チーム「鴨志田スワローズ」で、捕手として野球を始めます。

この時チームは全国3位を経験。既に100mを超える打球を飛ばし、長距離打者としての才能を開花させていた福田永将選手は、鴨志田中学へ進学。緑中央シニアで全国優勝を果たし、注目を集めます。

その結果、シニア日本代表の4番打者に選ばれ、プロフィールを見たアメリカメジャーリーグのニューヨーク・メッツのスカウトから、入団テストを受けてほしいとの誘いがあったんだそうです。

高校野球の名門・横浜高校へ進学した福田永将選手は、その打撃を買われ、1年春からベンチ入り。2学年上の現千葉ロッテマリーンズ・涌井秀章選手とバッテリーを組み、現横浜DeNAベイスターズの石川雄洋選手と共に、夏の全国高校野球選手権大会へ出場。

準々決勝まで勝ち進みますが、駒大苫小牧に敗れ、チームはベスト8。2年春から4番打者を務めます。

3年春の選抜高校野球大会では、主将として優勝を経験。同年夏の全国高校野球選手権大会では春夏連覇に期待がかかりますが、惜しくも大阪桐蔭に初戦敗退となりました。

大豊作の2006年ドラフトで上位指名!

そんなプロフィールを持つ福田永将選手が迎えた2006年のドラフト会議。現ニューヨークヤンキースの田中将大選手・現読売ジャイアンツの坂本勇人選手など、高校生に将来有望な選手が多い年と言われる中、高校通算49本塁打が高く評価され、中日ドラゴンズより高校生ドラフト3巡目で指名されます。

谷繁元信選手の後継者として、大型捕手・福田永将選手の入団が決まりました。

背番号は55。巨人・松井秀喜選手、広島・エルドレッド選手など、球界のスラッガーに与えられる背番号を入団時から与えられ、期待されての入団でした。

監督から高まる期待!

ルーキーイヤーの2007年春季キャンプでのこと、当時の中日ドラゴンズ落合博満監督が子供にサインをせがまれ応じると、そこにはすでに福田永将選手のサインが書かれていました。

それを見た落合博満監督は「この色紙にはサインできない。彼は将来クリーンナップを打つような選手になるかもしれないよ。すごい価値が出るかもしれないから、大事にしなさい」とサインを断ったことがあるんだとか。

当時から日本人離れしたパワーを持つといわれていた福田永将選手を大切に思い、一番期待していたのは、当時の監督・落合博満監督なのかもしれません。また、この発言を後から聞いた福田永将選手も、この言葉を励みにしていたそうです。

入団~下積み時代

ルーキーイヤーの2007年は、春季キャンプでの1軍昇格第1号となり、期待が高まりましたが、当時正捕手だった谷繁元信選手・小田幸平選手には及ばず、田中大輔選手・前田章宏選手らと第3の捕手の座を争います。

この影響もあり、1軍の出場はおろか、2軍でも9試合に出場しノーヒットと、プロの洗礼を浴びる厳しい1年となりました。そんな福田永将選手の出場機会を増やすため、中日ドラゴンズ秋季キャンプから1塁手への転向を言い渡されます。

2年目の2008年は2軍では4番打者として出場する機会に恵まれますが、1軍の試合出場はなし。着実に経験を積み、翌2009年の春季キャンプを初の1軍で迎えます。

すぐに右太ももを痛め2軍降格となりますが、7月に初の1軍昇格を果たします。

この時、代打で初打席、史上49人目のプロ初打席初ホームランを放ったのです。非凡な才能を買われ、この年は1軍の17試合に出場も、打率.188に終わりました。

2010年はオープン戦・2軍戦で4番を打ち、3割台の成績を残すも、1軍に昇格すると活躍できず、前年とあまり変わらない15試合の出場にとどまります。

2011年は開幕1軍を果たし、4月に2本のホームランを放つも、徐々に打率は下降し2軍へ降格。秋には初の日本シリーズも経験しますが、今一歩活躍できないシーズンが続きました。

そんな福田永将選手は2012年、若手捕手の小山桂司選手の移籍により、再び捕手へ転向します。

2年連続の開幕1軍、1軍での初の捕手を経験しますが、主に1塁手での出場、アマチュア時代を通しても自身初の2塁手を経験。

こういった不安定な守備位置が悪影響し、肝心の打撃も伸び悩み、オフに再び内野手転向となります。

和製大砲、覚醒!

2013年・2014年ももどかしいシーズンが続く福田永将選手に、転機となる出会いが訪れます。

2015年、西武時代に清原和博選手や中村剛也選手を指導した名伯楽・土井正博コーチが、中日ドラゴンズ春季キャンプに臨時打撃コーチとして参加。

フォーム改造に取り組み、オープン戦で結果を残した福田永将選手は、久しぶりの開幕1軍を果たします。

その後、主力選手の故障により、1塁手や3塁手としての起用が増えます。途中成績を落としながらも、試合前練習ではレフトの守備も練習するなど、日々努力を重ね、この年は自身最高の79試合に出場。これまでの福田永将選手のたゆまぬ努力が、徐々に開花していった年でした。

これまでの努力が実り、2016年は89試合に出場、10本の本塁打を放ちます。プロ10年目、遅咲きの88年世代がいよいよ覚醒の時を迎えました!

福田永将選手曰く、この年の秋季キャンプで、波留敏夫打撃コーチからのアドバイスで手に入れた感覚が、確信に変わったそうです。

しかしシーズン後半の右肩痛が尾を引き、2017年の開幕を逃します。そんな状況の中、クリーンナップを打つ平田良介選手と、ダヤン・ビシエド選手が故障離脱。福田永将選手に白羽の矢が立ち、ついに夏以降、1軍クリーンナップの座に座ることになります。

すると7月以降、大躍進!水を得た魚のように本塁打を量産し、現在も自身の本塁打記録・出場記録を伸ばしています。

中日ドラゴンズ福田永将選手の聖徳太子打法!

オープンスタンスで軸足をしっかり根を下ろすように固め、静かに息を吐いてバットを構え、投手に正対してバットを上下に揺らしてタイミングをとります。

この時、聖徳太子が笏を持つように、バットを低く握って立てる独特の構えから、中日ドラゴンズ福田永将選手は「聖徳太子打法」と呼ばれています。

このフォームは、福田永将選手の右足に体重を乗せすぎるクセの解消のため、無意識であみ出したんだそうです。

福田永将選手の魅力は、何といっても迷いのないスイングから放たれる、豪快なホームラン。打球は高く舞い上がり、日本人離れした大きな放物線を描きながらスタンドへ。

同僚の中日ドラゴンズ平田良介選手は「福田永将選手のパワーは外国人選手並み」と語り、森繁和監督は「違う外国人がひとりメンバーに加わったと思っている」と語ります。

打った後のフォロースルーは大きく、力を逃がすように軽くバットを投げます。この「バット投げ」もファンの楽しみのひとつ。

そしてこれまではどちらかというとパワーに偏りがちだった福田永将選手は好不調の波が激しく、どんな球でも大振りしてしまう欠点がありました。

現在は不得意な球も細かなスイングで内外野へ飛ばすことが出来るようになりました。これには土井コーチ・波留コーチと取り組んだフォーム改造が功を奏したことで心の余裕ができ、自分のタイミングで打てるようになったところが大きいと言います。

中日ドラゴンズ福田永将選手の性格

中日ドラゴンズ福田永将選手は以前インタビューで「結果を焦る頃は来る球を追いかけて、自分の打ち方を崩してしまっていました」と言います。

もともと素直で真面目な性格の福田永将選手は、非凡なプロフィールをもちながらも、それを鼻にかけることなく、いろいろなコーチ・選手のアドバイスを聞き、その都度試していたそうです。

そんな素直な福田永将選手の周りには、好調時の中日ドラゴンズ所属の外国人選手が自らアドバイスをしに来たり、時には図解で打撃のアドバイスをするファンレターが届いたりすることも。

どんなアドバイスにも一度は耳を傾け、以前はなんでも試していたスタイルも、ここ2・3年は一旦受け入れ選択をする余裕ができたんだとか。また、諸先輩の影響からか競馬好きでもあります。

しかし、あまり当たり過ぎない方が良い、と福田永将選手は語ります。これには理由があり、昨年買う予定だった馬券を買わずに試合が始まり、その試合で見事満塁ホームランを放ちます。

試合終了後競馬の結果を見ると、福田永将選手が買うはずだった馬券は万馬券に。この馬券を買っていたら満塁ホームランは打てなかったかもしれない、そうゲンを担ぎ、運を使いすぎないように、と真面目な一面をのぞかせています。

中日ドラゴンズ福田永将選手の成績・年俸

契約金5000万、年俸540万で中日ドラゴンズと契約した、福田永将選手の成績と年俸です。

  • 2007年 1軍出場なし  年俸 540万
  • 2008年 1軍出場なし  年俸 530万
  • 2009年
    17試合 18打席16打数  本塁打1 打率.188 年俸 530万
  • 2010年
    15試合 13打席12打数  本塁打0 打率.167 年俸 650万
  • 2011年
    12試合 17打席17打数  本塁打2 打率.235 年俸 650万
  • 2012年
    49試合 53打席51打数  本塁打1 打率.176 年俸 750万
  • 2013年
    4試合  7打席7打数   本塁打0 打率.286 年俸 900万
  • 2014年
    10試合 12打席12打数  本塁打0 打率.250 年俸 675万
  • 2015年
    79試合 185打席169打数 本塁打6 打率.243 年俸 650万
  • 2016年
    89試合 306打席270打数 本塁打10 打率.267 年俸 1500万
  • 2017年(10月2日現在)
    91試合 310打席285打数 本塁打18 打率.277 年俸 2250万

中日ドラゴンズ福田永将選手の今後に期待!


(出典:ぱくたそ-フリー写真素材より)

期待の若手和製大砲と呼ばれた福田永将選手も、来年は30歳を迎える年となります。福田永将選手にとっては、自分の野球人生の全てを賭けられる時期を迎えているのではないでしょうか。和製大砲が多くの野球少年の目をくぎ付けにし、たくさんのファンの夢をのせてホームランを打つ。

来季の中日ドラゴンズ福田永将選手から、そんな感動的なシーンが数多く生まれることを期待しましょう!

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