中日ドラゴンズ浅尾拓也のプロフィール!竜の剛腕セットアッパー復活へ!

若手投手の台頭や、これまで中日ドラゴンズを支えてきた投手の不調など、チームの変革期にある中日ドラゴンズ。そんな激動の中、2011年にセ・リーグMVPを獲得した浅尾拓也選手も復活を目指し、2軍で調整を続けています。一度頂点を味わった浅尾拓也選手の未来は?今回は中日ドラゴンズ浅尾拓也選手の経歴・成績・年俸などのプロフィールや性格などを、紹介していきたいと思います。

奇跡の絶対的セットアッパー!中日ドラゴンズ浅尾拓也選手

若手投手が台頭してくる中、岩瀬仁紀選手をはじめとするベテランの復活など、チームの変革期を迎えている中日ドラゴンズ。
チーム激動の中で、中継ぎエースとして中日ドラゴンズの黄金期を支えてきた浅尾拓也選手もまた、長期にわたる2軍調整を続けています。年間60~70試合の登板という激務を続け、2011年にはセ・リーグMVPも獲得した浅尾拓也選手の、復活への道とは?今回は中日ドラゴンズ浅尾拓也選手のこれまでの経歴や成績・年俸・プロフィールや、心優しきイケメン選手の真面目な一面なども含め、紹介していきたいと思います。

中日ドラゴンズ浅尾拓也選手のプロフィール

  • 名前   :浅尾拓也(あさお たくや)
  • 生年月日 :1984年10月22日
  • 出身地  :愛知県知多市
  • 身長   :182cm
  • 体重   :75kg
  • 投球・打席:右投右打
  • 経歴   :常滑北高→日本福祉大→中日ドラゴンズ

中日ドラゴンズ浅尾拓也選手の経歴

学生時代

小学校1年生の頃、友達に誘われて野球を始めた浅尾拓也選手。この頃は主に捕手を務めながら、時々投手もしていたそうです。市立八幡中へ進み、軟式野球部に所属します。この頃から完全に捕手となりますが、常滑北高校へ進んだ2年生の秋、3年生が引退したことでチームが投手不足になり、投手へ転向します。卒業後は日本福祉大学へ進学。当時、日本福祉大学は愛知県大学リーグの3部リーグに属しており、野球として有名校ではありませんでした。しかし、浅尾拓也選手が入学時は138キロだった球速は最速152キロにまで成長し、3年生頃から徐々に頭角を現し始めます。この頃からプロを意識するようになり、4年秋には2部リーグの試合でノーヒットノーランを達成。プロ野球スカウトからの注目を集めます。そしてついにチームは愛知県大学リーグ1部・2部入れ替え戦に勝利し、チームを1部リーグへと導きました。

ドラフト指名エピソード

日本福祉大学4年秋に大活躍を見せた浅尾拓也選手。2006年ドラフト会議直前だったこともあり、プロ野球スカウトの注目を集め、中日ドラゴンズの他、西武ライオンズやヤクルトスワローズも興味を示します。しかし浅尾拓也選手の意志は固く、ドラフト会議直前に「中日ドラゴンズ以外の球団から指名された場合、社会人野球の東邦ガスへ進む」と宣言。この時浅尾拓也選手は他球団スカウトに、中日ドラゴンズに入団したいので指名しないようにお願いする手紙を書いたそうです。

一時は強行指名も辞さない姿勢を見せていた西武ライオンズも、直前で指名を回避。無事ドラフト3位で中日ドラゴンズへ入団が決まりました。入団会見で浅尾拓也選手は「中学までは軟式野球をやってきた。そういう子でもプロに入って活躍できることを証明したい」と話します。決して野球エリートでなかった自分を振り返り、後進へエールを送りました。

プロ入り

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これまで全くの無名と言っても良い野球人生を送ってきた浅尾拓也選手に、スポットライトが当たり始めます。春季キャンプ・オープン戦を順調に過ごし、ルーキーイヤーの2007年4月、中継ぎとして初登板を果たし、4月後半にはプロ初勝利。5月になると初先発勝利をあげ、この年は後半に肩を痛めるまで、順調な滑り出しを見せました。
この故障の影響で2008年開幕は2軍で迎えますが、その後復帰を果たし、夏には北京オリンピック日本代表に召集された岩瀬仁紀選手に代わり、抑えを務めます。8月にプロ初セーブ。岩瀬仁紀選手がチームへ復帰してからは「勝利の方程式」として、大事な場面でのセットアッパーとして活躍しました。
2009年は前年の活躍が認められ、開幕投手を務め、見事勝利を飾ります。しかしそれ以降は先発投手として結果を残せず、再度セットアッパーへ転向。7月にはセ・リーグ新記録となる月間11ホールドを記録し、月間MVPを受賞しました。

奇跡のセットアッパー誕生へ!

2010年になると年間を通してセットアッパーに定着。9月に25試合連続ホールドポイントの日本新記録を更新し、この年は他にも年間47ホールド、年間59ホールドポイントをあげ、この記録はどちらも世界記録。連盟特別表彰が贈られ、最優秀中継ぎ投手にも輝き、中日ドラゴンズの優勝に大きく貢献します。
中日ドラゴンズになくてはならない存在となった浅尾拓也選手の快進撃は、2011年も続きます。

昨年共に活躍した高橋聡文選手の故障により浅尾拓也選手の負担が増える中、昨年を塗り替える球団記録の79試合に登板し、リーグ1位の45ホールド52ホールドポイントをあげ、2年連続最優秀中継ぎ投手を受賞。また中日ドラゴンズ初となるリーグ優勝連覇を成し遂げました。この年、チーム打率は2割2分8厘、総得点は419で、両部門ともにリーグワーストの成績でリーグ優勝を果たしたのは、日本プロ野球史上、この年の中日ドラゴンズしかありません。この活躍が認められ、リーグMVP、中継ぎ投手として初のゴールデングラブ賞を受賞しました。

怪我との闘い

しかし2012年、これまで快進撃を続けてきた浅尾拓也選手の身体が、悲鳴をあげます。シーズンが始まる前からストレートの球速が落ち、原因不明のままシーズンが始まってしまいます。後に右肩関節腱板損傷と判明しますが、不調のままシーズンを終えます。オフにWBC日本代表候補選手に選ばれますが不調は解消されず、2013年のWBC日本代表最終メンバーから外れることとなりました。シーズンでは7月に1軍復帰を果たしますが不調は解消されず、中日ドラゴンズの12年ぶりのBクラスが確定しました。
その後も故障に悩まされ、2014年は22試合の登板、2015年は36試合の登板、2016年は右肩痛に悩まされ、初の1軍登板なしと、浅尾拓也選手にとって苦しいシーズンを過ごしてきました。

中日ドラゴンズ浅尾拓也選手の特徴

かつての中日ドラゴンズ浅尾拓也選手の特徴といえば、150キロ前後のストレート。現代のプロ野球はカットボールやチェンジアップなど、動く系のストレートが流行っていますが、浅尾拓也選手ストレートは少し違っていて、投球を受けたことのある捕手曰く「球が痙攣するようにビリビリ震えながらやってくる」と言います。これは握力の強い投手、パワーのある投手に見られる現象で、そんな特殊な質を持つストレートに加え、パーム・スライダー・高速フォークを織り交ぜ、打者を翻弄します。
また、浅尾拓也選手といえば、入団当時より「牽制とフィールディングの巧さ」があげられます。その巧みさは、セ・リーグ盗塁王の受賞経験のある元阪神タイガース赤星憲広選手ですらも「浅尾選手がマウンドにいるときは、盗塁をしようと思わなかった」と語ります。

現在は150キロのストレートも鳴りを潜め、球速にこだわらず打者を抑えていく投球に切り替えています。2016年オフは、現役時代に右肩痛から奇跡の復活を果たした元ソフトバンクホークス・馬原孝浩選手と自主トレを行い、様々な経験を学んで復帰への自信を深めたそうです。

中日ドラゴンズ浅尾拓也選手の成績・年俸

契約金8000万、年俸1200万で中日ドラゴンズと契約した浅尾拓也選手の成績と年俸です。

  • 2007年
    登板数19 投球回51 4勝1敗1ホールド
    防御率3.53 奪三振40 年俸1200万
  • 2008年
    登板数44 投球回51.1 3勝1敗1セーブ12ホールド
    防御率1.79 奪三振39 年俸1700万
  • 2009年
    登板数63 投球回113.1 7勝9敗6セーブ33ホールド
    防御率3.49 奪三振96 年俸3500万
  • 2010年
    登板数72 投球回80.1 12勝3敗1セーブ47ホールド
    防御率1.68 奪三振75 年俸7500万
  • 2011年
    登板数79 投球回87.1 7勝2敗10セーブ45ホールド
    防御率0.41 奪三振100 年俸1億3500万
  • 2012年
    登板数29 投球回30.0 1勝0敗1セーブ15ホールド
    防御率1.50 奪三振29 年俸2億7500万
  • 2013年
    登板数34 投球回30.2 2勝3敗1セーブ22ホールド
    防御率1.47 奪三振19 年俸2億2000万
  • 2014年
    登板数22 投球回19.0 1勝1敗0セーブ8ホールド
    防御率6.16 奪三振20 年俸1億6500万
  • 2015年
    登板数36 投球回31.0 1勝1敗3セーブ16ホールド
    防御率3.19 奪三振34 年俸1億2000万
  • 2016年
    1軍登板なし 年俸9800万
  • 2017年(9月26日現在)
    登板数3 投球回2.2 0勝0敗0セーブ0ホールド
    防御率13.5 奪三振4 年俸7350万

中日ドラゴンズ浅尾拓也選手、マイナス思考を原動力に

浅尾拓也選手は小学生の頃、プロ野球選手になりたいと漠然と考えていましたが、それは夢のまた夢。子供の頃からシニアリーグに所属し硬式野球をおぼえ、野球名門校へ進む…プロ野球選手とは、そんな野球エリートが目指すものだ、と考えていた浅尾拓也選手にとって、プロ野球のスカウトに注目してもらえるまで、特にやりたいこともなかったといいます。大学での野球生活も、専用のグラウンドなどはなく、全体で集まるのは週に2回ほど、と決して恵まれた環境ではありませんでした。しかし大学3年生になって、スカウトに声をかけられるようになって初めて「プロ野球選手になりたい!」という夢が芽生え、全身全霊をかけて努力した結果、中日ドラゴンズへ入団することが出来、光が射したんだそうです。これを浅尾拓也選手は「雑草魂…というか劣等感」といい、劣等感は決して悪いものではなく、自分にとっては原動力であると語ります。
また非常に責任感が強いことでも知られていて、プロ入りして間もない頃、中継ぎで登板し、先発の勝ち星を消してしまう事があると、夜中に「勝ち星を消してごめん」と先発投手へ電話して謝っていたのだそうです。2011年にMVPを受賞したときも「吉見選手の勝ちを2つ消している。これがなければ吉見選手が20勝でMVP」と発言をしており、仲間思いや責任感の強い性格が垣間見れます。端正な顔立ちから女性ファンも多いイケメン・浅尾拓也選手ですが、責任感が強く、劣等感を力に変える冷静さを持ち合わせているようです。

中日ドラゴンズ浅尾拓也選手、再び輝ける場所へ!

ここ5年間は辛いシーズンを送ってきた浅尾拓也選手。2017年9月、今季3試合目となる1軍登板を迎えました。大量点差での中継ぎ登板でしたが、浅尾拓也選手の名前がコールされると、球場は復帰を待つファンの大歓声に包まれます。前日、1軍の練習に合流した際は、報道陣に「現役を続けるつもりでやってきました。辞めるつもりならもっと早く諦めていた」と、これまでにない強い決意を語りました。新星・浅尾拓也選手の復活となれば、若手の台頭・ベテランの復活に更なる勢いをつけ、強くチームを後押しする力になることは間違いありません。

中日ドラゴンズ浅尾拓也選手の今後の活躍に、目が離せませんね!

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