“悲運のエース”から”広島のエース”へ!広島東洋カープ・野村祐輔選手のプロフィールに迫る!

広島東洋カープのエースとして活躍する、野村祐輔選手!2016年シーズンは、最多勝・最高勝率・ベストナインと多くのタイトルを獲得。球界を代表する投手となりました。しかし、学生時代には一時話題となった"悲運な出来事"が。高校時代には"悲運のエース"とまで呼ばれていた野村祐輔選手。そんな彼が"広島東洋カープのエース"として活躍するまでのプロフィール・経歴・成績・年俸・性格を踏まえ、野村祐輔選手の全貌をご紹介させてい頂きます!

「広島のエース」広島東洋カープ・野村祐輔選手

広島東洋カープの野村祐輔選手といえば、落ち着いたマウンドさばきと、抜群のコントロールで広島東洋カープの「エース」として活躍をしています。

2016年には、最多勝・最高勝率・ベストナインを獲得。広島東洋カープのリーグ優勝に大きく貢献し、自身も飛躍の年になりました。

今でこそ”エース”として活躍を見せていますが、学生時代には、一時大きな話題となった”悲運な出来事”の主人公ともいえる人物でした。

今回は、そんな野村祐輔選手のプロフィール・経歴・成績・年俸・性格を紹介します。

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広島東洋カープ・野村祐輔選手の「プロフィール」

プロフィール

  • 選手名:野村 祐輔(のむら ゆうすけ)
  • 所属:広島東洋カープ
  • 背番号:19
  • ポジション:投手
  • 生年月日:1989年6月24日生まれ
  • 出身:岡山県倉敷市
  • 投打:右投げ右打ち
  • 身長/体重:177cm/82kg

(プロフィールは「2017年9月14日」現在もの)

元々は左利きの野村祐輔選手。今でも箸は左手で持つようです。右投げ右打ちなのは、初めて父親に買ってもらったグローブが”右利き用”だったからだそうです。

野村祐輔選手の特徴は、「キレのある変化球」と「抜群のコントロール」であるといえます。

マウンドさばきも評価が高く、アマチュア時代に「プロで10年もやっているようだ」と、プロ球団のスカウトから評されているほどでした。

広島東洋カープ・野村祐輔選手の「経歴」

少年時代~高校3年春

野村祐輔選手が野球始めたのは、小学校1年生のときでした。倉敷市の小学校で軟式野球を始め、6年生にはチームのエースとなり、県大会で準優勝を果たします。

中学時代は、地元の硬式少年野球チーム『倉敷ビガーズ』に所属。2番手投手として、西日本大会優勝に貢献する活躍を見せました。

高校は、広島県の広陵高校へ入学した野村祐輔選手ですが、中学3年生時には、強豪野球部を持つ地元の高校への進学が決まっていたようです。

しかしその年の9月に、広島県の広陵高校へ見学に行く機会があり、練習風景や先輩の姿を見て、広陵高校への入学を決心したようです。

名門広陵高校に入学した野村祐輔選手は、1年生からベンチ入りをします。高校3年春の選抜大会では、唐川侑己選手(千葉ロッテマリーンズ)のいた成田高校に勝利し、結果ベスト8入りという成績を残しました。

高校3年夏

高校3年の春に、選抜大会でベスト8入りを果たした、野村祐輔選手を擁する広陵高校。夏も順調に勝ち抜き、「激戦区」といわれる広島県の代表として甲子園出場を果たします。

甲子園1回戦の相手は、夏の甲子園”4年連続決勝進出”がかかっていた、北海道の駒大苫小牧高校。その試合で広陵高校が逆転勝利をし、駒大苫小牧高校の記録をストップさせました。

広陵高校は、その後も順調に勝ち進み、決勝へ駒を進めます。

”悲運のエース”

決勝戦の相手は、佐賀県の佐賀北高校。この佐賀北高校との決勝戦で、野村祐輔選手は”悲運のエース”と呼ばれることになります。

2007年当時、佐賀北高校は全国的にも”強豪校”という扱いではありませんでした。公立高校であったこともあり、佐賀北高校の活躍は”がばい旋風”として注目を集めました。

決勝戦は、広陵高校のペースで進みます。7回終了時点で「4-0」とリード。野村祐輔選手も7回で被安打1本と好投し、広陵高校勝利のムードで試合は流れていきました。

しかし8回、佐賀北高校の打線につかまります。安打や四球も絡み、満塁のピンチを迎えます。

ここから”悲運”と呼ばれる出来事が起こります。

カウントは、1ストライク・3ボール。佐賀北高校の2番打者に投じたボールは、ストライクでもボールでもおかしくない1球でした。

主審の判定は「ボール」。結果押し出しの四球となり、1点を失ってしまいます。マウンド上の野村祐輔選手は、「ストライク」と自信を持って投げたボールだったのか、驚きを隠せない様子を見せました。

その後、野村祐輔選手は次の3番打者に満塁ホームランを打たれ、最終的には「4-5」と敗北。準優勝で大会を終えることとなりました。

この佐賀北高校との一戦は、試合後にも”疑惑の判定”と呼ばれました。広陵高校の中井監督も、記者団の前で、審判の判定に対する不満を漏らすなど話題となりました。

野村祐輔選手は、この試合で”悲運のエース”と呼ばれることになったのです。

早稲田大学に入れなかった過去

高校時代に、投手として注目を集めた野村祐輔選手。大学でも野球を続けるため、入学を希望していた早稲田大学のセレクションを受験します。

しかし結果は”落選”。もちろん、他の入学方法はあったのですが、早稲田大学に入学することはしませんでした。

野村祐輔選手曰く

「一度、いらないって言われたわけですからね。だったら、自分を本当に必要としてくれるところでやりたかった」

(出典:Numberweb

負けず嫌いな性格だという野村祐輔選手。

最終的には、早稲田大学のライバルともいえる”明治大学”へ進学することになりました。

明治大学へ進学した野村祐輔選手。大学では、驚異的な成績を残すことになります。

大学1年時から、投手として活躍します。1年目秋には、34回2/3を投げ「防御率:0.00」を記録。この記録は、シーズン44年ぶりの快挙で、リーグ史上5人目の記録となりました。

その後も、明治大学のエースとして活躍。4年生最後のシーズンでは、野球人生初の”日本一”に輝きます。明治大学としても15年ぶりのリーグ優勝となり、高校時代の”悲運のエース”がついに栄冠を獲得したと話題になりました。

個人としても、自身最多となるシーズン6勝を挙げ、早大の斎藤佑樹(現日本ハムファイターズ)以来、東京六大学リーグ史上7人目となる「30勝・300奪三振」をマーク。

プロ注目の選手となり、東洋大の藤岡貴裕(現千葉ロッテマリーンズ)、東海大の菅野智之(現読売ジャイアンツ)とともに”大学ビッグ3”と呼ばれるようになりました。

最終的には、2011年秋のドラフト会議にて”広島東洋カープ”からドラフト1巡目にて指名。野村祐輔選手は、プロ野球人生をスタートすることになります。

プロ入り後

広島東洋カープに入団した野村祐輔選手。1年目から、その実力を発揮します。

開幕から1軍ローテーションを務め、シーズンで9勝をマーク。2桁勝利には届かなかったものの、「防御率:1.98」という成績と残し、堀内恒夫さん(元読売ジャイアンツ)以来46年ぶりの「防御率1点台を記録した新人投手」となります。

また、この年のセ・リーグ「新人王」を獲得。新人王を決める投票で、セ・リーグの有効投票総数「261票」のうち、「200票」を獲得しました。

翌年2013年も、ローテーションの一角として活躍。シーズン12勝を挙げ、自身初の2桁勝利を挙げます。

この2年で、広島東洋カープの主力投手となった野村祐輔選手。彼には、首脳陣やファンからも大きな期待がかけられました。

しかし、2014年・2015年の2年間、1桁勝利に終わります。2軍でプレーする期間もあり、成績を残せないシーズンを過ごします。

そんな野村祐輔選手を救ったのは、アメリカメジャーリーグと日本プロ野球で活躍をした大先輩、黒田博樹選手(元広島東洋カープ)の教えでした。

「先生みたいな存在」という黒田から学んだ「不動心」で投げ続けた。調子の良しあしで左右されないこと。好調時のイメージを追い求めるのではなく、その日の状態を受け入れて投球を組み立てた。

(出典:スポニチ

2016年、当時エースとして活躍としていた前田健太選手(現ロサンゼルス・ドジャース)がメジャーリーグへ移籍し、野村祐輔選手が「エース」として期待されるようになりました。

野村祐輔選手は、期待に応えるかのように「エース」としての活躍を見せます。リーグトップの「16勝」と「勝率:.842」という成績を残し、広島東洋カープのリーグ優勝に貢献します。

日本シリーズでは、北海道日本ハムファイターズに敗れたものの、個人では最多勝・最高勝率・ベストナインと、広島東洋カープの”エース”としてのシーズンと過ごすことになりました。

広島東洋カープ・野村祐輔選手の「成績」と「年俸」

・2012年

27試合/9勝11敗0S/防御率1.98/103奪三振/年俸:1,500万円

(タイトル:新人王)

・2013年

23試合/12勝6敗0S/防御率3.74/103奪三振/年俸:4,000万円

・2014年

19試合/7勝8敗0S/防御率4.39/75奪三振/年俸:6,000万円

・2015年

15試合/5勝8敗0S/防御率4.64/51奪三振/年俸:5,800万円

・2016年

25試合/16勝3敗0S/防御率2.71/91奪三振/年俸:5,200万円

(タイトル:最多勝利、最高勝率、ベストナイン)

・2017年(2017年9月14日現在)

23試合/9勝5敗0S/防御率2.95/99奪三振/年俸:1億円

広島東洋カープ・野村祐輔選手の「性格」

野村祐輔選手は、周囲から”マイペース”な性格であると言われることが多いようですが、本人曰く「負けず嫌いで、勝負には何でも負けたくない」ほどの負けず嫌いな性格の持ち主だとか。

また、頑固な性格のようで”自分で決めたことは曲げない”とのこと。

ピッチャーとしては精神面とキレ、コントロールを大事にしているといい、澤村拓一からウエイトトレーニング薦められたことがあるが、「自分は『しなり』で投げるタイプなので、筋肉を硬くしたら終わり」との理由でウエイトトレーニングは一切やらないという。

(出典:Wikipedia

野村祐輔選手は「悲運のエース」と呼ばれた頃から這い上がり、現在は広島東洋カープのエースとなっています。

こういった”負けず嫌い”で”自分を貫く”性格が、辛い時期を乗り越え、活躍をしている要因であることがいえます。

”不屈の精神”で這い上がった、広島東洋カープ・野村祐輔選手

高校時代の悲運な出来事や、プロ野球での不調も、持ち前の”精神力”で乗り越えてきた広島東洋カープの野村祐輔選手。

広島東洋カープでは近年、前田健太選手や黒田博樹選手といった名投手が退団し、野村祐輔選手への期待が一層かけられています。

今後も、”広島のエース”野村祐輔選手の活躍に期待しましょう!

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(出典:無料で使えるイラスト素材)

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