広島東洋カープ・永川勝浩選手の「プロフィール」に迫る!【球団最多セーブ記録保持者】

【球団最多セーブ記録保持者】広島東洋カープ・永川勝浩選手の「プロフィール」をご紹介します!2006年~2009年の間、広島東洋カープでクローザーを務めた永川勝浩選手。広島東洋カープのセーブ数球団最多記録を持ち、今もなおチームに貢献し続けています。この記事では、広島東洋カープ・永川勝浩選手のプロフィール・経歴・年俸・成績・性格について、ご紹介させていただきます!

広島東洋カープ・永川勝浩選手の現在

2006年~2009年の間、広島東洋カープでクローザーを務めた永川勝浩選手。

広島東洋カープのセーブ数球団最多記録を持ち、今もなおチームに貢献し続けています。

この記事では、広島東洋カープ・永川勝浩選手のプロフィール・経歴・年俸・成績・性格について、ご紹介させていただきます!

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広島東洋カープ・永川勝浩選手の「プロフィール」

プロフィール

選手名:永川 勝浩(ながかわ かつひろ)

所属:広島東洋カープ

背番号:20

生年月日:1980年12月14日生まれ

出身:広島県三次市

経歴:新庄高校→亜細亜大学→広島東洋カープ

身長・体重:188cm・98kg

投打:右投げ右打ち

ポジション:投手

選手としての特徴

  • 188cmの長身から投げ下ろされるフォーム
  • 最速153km/hのストレート(2005年に計測)
  • 落差の大きいフォークボール
  • 高い奪三振率

永川勝浩選手は、投球フォームも特徴的といえます。ヒザをあごに当てる勢いで足を上げ、長身を生かし、上から150km/hを越えるストレートを投げ込みます。

また、奪三振率が高く、そのほとんどは落差の大きいフォークボールによるもの。投球の半分が、そのフォークボールとも言われております。

広島東洋カープ・永川勝浩選手の「経歴」

大先輩の番号

永川勝浩選手は、広島県の三次市出身の選手。小学校の頃から野球を始めたようなのですが、中学校3年間はバスケットボール部に所属していた経歴の持ち主です。

高校は、広島県の新庄高校に入学。甲子園出場は叶わなかったものの、再び野球部に所属し活躍しました。

大学は、亜細亜大学に入学。在学中、東都大学リーグで15試合登板し、「5勝4敗、防御率2.03」という成績を残します。

結果、2002年年ドラフト会議で、広島東洋カープから自由獲得枠で指名。背番号は、”20番”に決定。この番号は、8年間欠番が続いていた北別府学さん(元広島東洋カープ)の番号。球団からの期待がうかがえます。

新人クローザー

プロ1年目の2003年、開幕一軍メンバーとしてシーズンを迎えます。クローザーとして活躍していた、小山田保裕さん(元広島東洋カープ)が怪我で離脱していたこともあり、1年目からクローザーとして活躍します。

球団の新人記録を更新する25セーブを記録。オールスターゲームに出場するなど、1年目から飛躍のシーズンとなりました。

新人王こそ、10勝を記録した木佐貫洋選手(当時読売ジャイアンツ)に譲ったものの、首脳陣やファンからの期待に応えるシーズンとなりました。

しかし、翌年2004年は成績の残せないシーズンとなります。開幕から不調だった永川勝浩選手。5月にはクローザーを剥奪され、シーズン途中に先発登板するも、怪我など重なり、2軍落ちを経験します。

広島東洋カープのクローザーとして

2004年は、期待に応える成績を残せなかった永川勝浩選手。翌年2005年から、本来の力を発揮し、チームに貢献します。

2005年は、主に中継ぎ投手として登板。シーズン途中ではクローザーを任されるなど、自己最多の57試合に登板し、防御率は”3.13”と安定した投球を見せます。

翌年からは、広島東洋カープのクローザーとして活躍。2006年には、リーグ最多の65試合に登板、岩瀬仁紀選手(中日ドラゴンズ)に次ぐ27セーブを記録します。

この年は、防御率は”1.66”を記録し、クローザーでの救援成功率は79%と好成績を残します。自身2度目のオールスターゲームや、シーズンオフの日米野球にも出場しました。

その後のシーズンでも、2007年~2009年で「3年連続の30セーブ」をあげ、名実ともに広島東洋カープのクローザーとして定着しました。

2009年には、球団新記録の通算139セーブを記録し、歴史に名を刻みました。

クローザーからの陥落

2009年に、「3年連続の30セーブ」や「球団新記録のセーブ数」を記録するなど、自他共に認めるクローザーとなった永川勝浩選手。翌年2010年から、厳しいシーズンを過ごすことになります。

2010年も引き続き、クローザーとして起用されますが、開幕から不調が続きます。4月中旬にはケガもあり、2軍落ちを経験。その後も、怪我の影響か1軍と2軍を行ったり来たりし、最終的にはシーズンで1セーブのみで終わります。

その後も、中継ぎ投手として登板しますが、2011年~2016年の6年間で1セーブのみ。広島東洋カープのクローザーから陥落する形となりました。

2017年は1軍登板は”0”。『引退』がささやかれている状況の永川勝浩選手ですが、球団新記録のセーブ数を誇る元クローザーは、もう一度首脳陣やファンの期待に応えてくれるでしょう。

広島東洋カープ・永川勝浩選手の「年俸」と「成績」

2003年

年俸:1,500万円

40試合登板/3勝3敗25セーブ/防御率3.89/50奪三振

2004年

年俸:3,300万円

22試合登板/3勝4敗4セーブ/防御率7.99/48奪三振

2005年

年俸:2,600万円

57試合登板/3勝5敗2セーブ/防御率3.13/79奪三振

2006年

年俸:4,200万円

65試合登板/5勝6敗27セーブ/防御率1.66/86奪三振

2007年

年俸:8,000万円

61試合登板/4勝7敗31セーブ/防御率3.06/74奪三振

2008年

年俸:8,000万円

56試合登板/4勝1敗38セーブ/防御率1.77/64奪三振

2009年

年俸:1億6,000万円

56試合登板/3勝6敗36セーブ/防御率2.73/48奪三振

2010年

年俸:1億6,000万円

10試合登板/1勝2敗1セーブ/防御率3.97/10奪三振

2011年

年俸:1億2,000万円

19試合登板/1勝2敗0セーブ/防御率5.16/22奪三振

2012年

年俸:8,000万円

1軍登板なし

2013年

年俸:4,000万円

29試合登板/3勝1敗0セーブ/防御率2.04/28奪三振

2014年

年俸:6,000万円

52試合登板/3勝4敗1セーブ/防御率4.04/48奪三振

2015年

年俸:1,500万円

26試合登板/1勝1敗0セーブ/防御率4.78/27奪三振

2016年

年俸:5,000万円

11試合登板/2勝0敗0セーブ/防御率6.30/8奪三振

2017年(2017年9月26日現在)

年俸:3,700万円

1軍登板なし

広島東洋カープ・永川勝浩選手の「性格」

広島東洋カープで永年にわたり、クローザーを務めた永川勝浩選手。その性格は、まさに『クローザー』といえる性格のようです。

マウンドでは意識的に恐い顔を作っているという。「抑えはやるか、やられるかのポジション。なめられたら終わり」といい、「恐い顔で得することはあっても、損することは絶対ない」と語っている。結果的に打者を抑えることができても投球内容が良くなければ納得できない完璧主義な性格でもある。

(出典:Wikipedia

と語っており、また他のインタビューでは、

「一番つらいのは、先発の勝ちを消したとき」と話すなど、責任感が強い性格といえます。

また、自身で「素直な性格」と語っている永川勝浩選手。応援されると力が出る反面、ヤジや批判などに対して過敏に反応してしまうのだとか。

広島東洋カープ・永川勝浩選手

ベテラン選手となった今もなお、マウンドに立ちチームに貢献し続ける永川勝浩選手。

もちろん全盛期の頃の活躍となると難しい状況ですが、首脳陣やファンからの期待に、きっと応えてくれることでしょう。

今後も、広島東洋カープ・永川勝浩選手の活躍に期待しましょう!

(出典:無料で使えるイラスト素材)

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