福岡ソフトバンクホークス優勝へのキーパーソン【中田賢一選手】のプロフィールがアツい!

福岡ソフトバンクホークス・中田賢一選手の野球人生は、決して平坦なものではありませんでした。最速153km/hのストレートと、キレあるの変化球を武器に、福岡ソフトバンクホークスで活躍する・中田賢一選手。今もなお、先発投手としてマウンドに上がり続けます。中田賢一選手のプロフィール・経歴・成績・年俸・性格をお伝えします。

進学校に通いながらプロ野球の夢を掴んだ!福岡ソフトバンクホークス・中田賢一選手

 
福岡ソフトバンクホークスの中田賢一選手

プロの世界での中田賢一選手は、150km/hをこえるストレートとキレのある変化球を使い、奪三振も多く、長く活躍をしている選手といえます。

しかし彼の野球人生は、決して平坦な道のりではありませんでした。

35歳になる今もなお、先発ピッチャーとしてマウンドに上がる中田賢一選手。

今回は、彼の「プロフィール」「経歴」「特徴」「成績」「年俸」など、中田賢一選手の性格がわかるエピソードを交え紹介させていただきます。

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福岡ソフトバンクホークス・中田賢一選手とは

プロフィール

  • 選手名    :中田 賢一(なかた けんいち)
  • 生年月日(年齢) :1982年5月11日(35歳)
  • 身長/体重        :180cm/85kg
  • 出身地                 :福岡県北九州市
  • 投打                     :右投げ右打ち
  • ポジション         :投手

福岡ソフトバンクホークス中田賢一選手の「成績」「年俸」

 

年度

球団

勝利

敗北

防御率

投球回

年俸

’05

中日ドラゴンズ

8

3

3.63

86.2

1,300万

’06

7

4

3.91

112.2

3,000万

’07

14

8

3.59

170.1

4,100万

’08

7

9

4.65

129.2

8,500万

’09

5

4

3.44

81

7,200万

’10

7

4

2.90

118

6,000万

’11

2

3

4.15

30.1

7,200万

’12

7

10

2.83

140

6,000万

’13

4

6

3.40

98

7,000万

’14

ソフトバンクホークス

11

7

4.34

145

7,000万

’15

9

7

3.24

155.1

9,500万

’16

7

3

3.01

89.2

9,500万

’17

6

6

4.92

78.2

9,500万

 

表のように、2桁勝利こそ2度になっていますが、毎年安定した成績を残しています。

また、年俸の推移を見ても安定しており、年俸1億円プレイヤー寸前という年俸といえます。

福岡ソフトバンクホークス・中田賢一選手の選手としての特徴

 
中田賢一選手の特徴として、大きく4つ挙げられます。

「最速153km/hのストレート」と「落差の大きいフォーク」

「最速153km/hのストレート」と「落差の大きいフォーク」が、中田賢一選手の最大の武器であるといえます。他にもカーブやスライダー、カットボールと球種も多彩。

特にフォークボールは、「フォークの神様」と称される杉下茂さん(元中日ドラゴンズ)から絶賛されるほどの落差を誇ります。

「無尽蔵」ともいえるスタミナ

中田賢一選手のといえば、底なしの「スタミナ」も特徴として挙げられます。

2005年秋、中日ドラゴンズでのキャンプで行われた「投手陣での4km走」で、2位に1分以上の差をつけて1位となったというエピソードも。

もちろん投げるスタミナも豊富で、回を重ねるごとに調子を上げることも特徴として挙げられます。

中日ドラゴンズのホーム球場「ナゴヤドーム」での強さ

プロ1年目の2004年から2013年まで、在籍をしてた中日ドラゴンズのホーム球場である「ナゴヤドーム」。そのナゴヤドームで、中田賢一選手は抜群の強さを誇ります。

中日ドラゴンズに在籍していた9年間で、36勝10敗の成績を記録しています。

「暴れ馬」と呼ばれるコントロール

その反面、コントロールに難があり、与四死球が多いのも特長です。

監督やコーチ、ファンなどからも「暴れ馬」と呼ばれる選手でもあります。

福岡ソフトバンクホークス・中田賢一選手の愛称:賢ちゃん愛される性格

 
野球界では「暴れ馬」と称される中田賢一選手ですが、一方、プライベートではスマートな性格であるといわれています。

いわゆる「男ウケする男前な性格」だそうで、インタビューなどでも好青年ぶりを発揮することも少なくありません。

また、チームメイトやファンから、「賢ちゃん」と呼ばれることが多く、ソフトバンク時代では、年齢が10歳以上離れている武田翔太選手(現ソフトバンク)からも「賢ちゃん」と呼ばれている姿が目撃されています。

中田賢一選手は周囲から賢ちゃんと呼ばれ、愛される性格ですね。
このように、プライベートでは「暴れ馬」とは程遠く、寛容で爽やかな性格であるということがいわれています。

 

福岡ソフトバンクホークス・中田賢一選手の決して平坦ではない経歴

 
中田賢一選手は、父・治英さんが、地元でソフトボールチームのコーチをされており、その影響でソフトボールや野球を始めました。

それから、中学・高校・大学とプロへの階段を登った中田賢一選手の経歴をみていきます。

「無名選手」だった高校時代

高校は、福岡県立八幡(やはた)高等学校へ入学。

「八幡高校」は、県内でも上位の進学校といわれており、0時間目からの授業や、休み期間の補習。進学校特有の授業体制で、勉強との両立に苦しみながらも、日々練習を行っていました。

高校に入学し、1年時は出場する機会が少なかったものの、2年秋からエースとなり、チームの主力となります。

しかし、3年春は「県北部大会ベスト8」、3年夏は「3回戦敗退」と、甲子園出場は叶わず、全国的にみると「無名」のまま高校時代を終えました。

中田賢一選手自身も、最高球速が130km/h後半で、プロで見せるようなスピードボールを投げてはいませんでした。

「頭角」を現した大学時代

中田賢一選手といえば、力のこもった「ストレート」です。

高校時代、球速が130km/h台であったのにもかかわらず、なぜ今のようなスピードボールを投げられるようになったのでしょうか。

その秘密は、中田賢一選手の大学時代にあります。

大学は、公立の北九州市立大学へ入学。

野球をする時間を確保するため、「経済学部経済学科・夜間コース」に入学。昼は野球の練習をし、午後6時から講義を受けるという生活を続けていました。

その中で、大学2年ごろから頭角を現し、2年春秋リーグでベストナインを受賞。3年時には球速150km/hを記録し、一気にスカウトの注目を集め、プロへの階段を駆け上がります。

この3年間で、自分の最高球速を10km/h以上更新した中田賢一選手。なぜこのような急成長を遂げたのでしょうか。

その裏には、大学時代の過酷なトレーニングがあったといいます。

「学校の近くに鷲峰山っていう小高い山があるんですよ。まずそこに登ってから、100メートルを40本走ったり、243段の階段ダッシュをしたり。走って山に登るだけでもタイムを測ったら30分近くかかります。毎冬越えるたびに球速も上がりましたし、そういう毎日のしんどい練習の積み重ねのおかげです」

(出典:東スポ

 

このような積み重ねの結果、日本プロ野球界はもちろん、米メジャーリーグのスカウトからの注目も集まるピッチャーとなったのです。

大学4年時には、九州六大学春季リーグにて39年ぶりの優勝に貢献し、全日本大学選手権大会に出場を果たします。

この時の3チームによる優勝決定戦では、
1日で310球を一人で投げ抜き、リーグ優勝を決めました。

大学で華々しい活躍を見せた中田賢一選手は、活躍の舞台をプロ野球へ移すことになります。

 

福岡ソフトバンクホークス・中田賢一選手に託された「エースナンバー」

 
2004年、ドラフト2巡目で中日ドラゴンズに指名された中田賢一選手。

背番号は、かつて「杉下茂」「星野仙一」「小松辰雄」「権藤博」など、ドラゴンズの歴代エースがつけてきた「20番」を背負うことに。しかしこれは、当時監督と務めていた落合博満さんが「空いていたから」という理由で渡したものだそうです。

ただ中田賢一選手は、その「20番」に恥じぬ活躍を見せます。

入団1年目にて開幕ローテーションを任されるという、1998年の川上憲伸以来の快挙を成し遂げます。また、先発2試合目にはプロ初勝利を達成し、中盤は怪我で離脱したものの、後半戦では6連勝をするなどの活躍を見せます。

プロの舞台でも自分の力を発揮し、成績を残していた中田賢一選手。

発展途上の2007年に、悲しい出来事が起こります。

2007年、父・治英さんの他界

2007年シーズンの開幕直前、中田賢一選手の父親・治英さんが肝臓ガンでこの世を去ります。

中田賢一選手が野球を始めたきっかけは、父・治英さんがソフトボールチームのコーチをしていたこと。野球をするきっかけをくれた人との別れが訪れたのです。

それでも中田賢一選手は、父・治英さんの死から一ヶ月後、勝ち投手になりました。

その日のヒーロインタビューにて、インタビュアーから父のことを触れられ、涙を浮かべながら父親に感謝を述べるシーンもありました。

この年には、自身最多の14勝をマークし、チームの日本一に貢献。シーズン終了後に発表した自身の手記でも、父親への感謝や、思い出などを語りました。

亡くなった父親について「小学校から、ほとんどの試合をバックネット裏の特等席で見てくれていた。変な言い方かもしれないけれど、平均寿命の残り分の試合を亡くなるまでに見に来てくれたのかなと思っています」「父に『15勝、20勝はしなくていい。毎年10勝、けがのない選手になれ』と言われてきた」などと述べた。

(出典:Wikipediaより)

 

その後のシーズンでも、先発にリリーフとチームに貢献。計9年間、中日ドラゴンズの主力投手として活躍をしました。

福岡ソフトバンクホークス・中田賢一選手:活躍の舞台は、地元「福岡」へ


 

2013年のシーズン終了後、国内FAと行使し「福岡ソフトバンクホークス」へFA移籍を行います。

2007年に父が他界し、ひとりになった母のことを心配したのと、行きつけの病院が地元にあったことから移籍を決断。

福岡ソフトバンクホークスに移籍してからも、2014年は11勝、2015年は9勝を挙げる活躍を見せました。

 

また中田賢一選手は、2014年にフリーアナウンサーの角野友紀さんと結婚しています。

2016年は怪我で開幕に遅れたものの、7勝(3敗)を挙げており、今後も活躍が期待されます。

福岡ソフトバンクホークス・中田賢一選手の「これから」


(出典:GATAG)

 

今でこそ、プロの第一線で活躍する、福岡ソフトバンクホークス福岡ソフトバンクホークス・中田賢一選手。
それは学生時代の努力や苦労、経歴を重ね、手に入れたものだといえます。

今年はまだまだ本調子ではない中田賢一選手ですが、今後の奮起を期待しましょう!

 

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